雑感あれこれ

出張でいくつかお話を聞き、少々考えたこと(といっても、厳密には「考えた」というより「意識した」くらいですが)をいくつか。


・どこにも、いろいろと大変な事情はあるのだなあ、ということ。「ホームのような場所はない」が、ユートピア的な大学もどこにもないと肝に銘じるべし。隣の芝生ばかり見ていても仕方ない。それでも、ユートピアと青い芝生を追い求めてしまう人は、どうすればよいだろうか。


・「研究者は時間面で裁量があるからよい」のか、「研究者はオンとオフの切り替えができなくて苦しい」のか、どっちなのか。これはなかなか難しいところ。個人的には、最終的には前者だろうと思うから研究者をやっているつもりなのだが、「書けていない論文」という重〜い宿題を背負って、「ロンブンロンブンロンブン…」と思っているのがしんどいことも事実。なお、前者だからといっても、休日まで研究室には行きたくない(だから、僕は家にもたくさん研究用の本が置いてある。研究室と家とどっちにおいてあるかわからなくなるときもあるけど、研究をやるからといって、ずっと研究室にいるのはイヤ)。
 また、後者は、「研究だけでオンオフが切り替えられない」とは限らない点というか、研究以外のこともいろいろあってそのしわ寄せで研究面でオンオフが余計に切り替えづらくなることもあることにも注意。カントのように、毎日研究中心での規則正しい生活ができれば、それなりにはオンオフも切り替えられるかもしれない。まあ、そうやっている人もいると思うが、僕のように、複数のタイプの仕事を順にてきぱきとこなせない非効率的で怠け癖のある人には、規則正しくすごすためには、やるべきことの種類が限定されていることが必要だろう(=自己弁護)。
 ところで、「ひたすら研究に没頭する」という記述は、事実を表しているのか、「それがいいなあ」という理想を表しているのか、「研究者たるものかくあるべき」という規範を表しているのか。少なくとも、一番目を意味すると確信を持っていえる期間は、かな〜り短い。セミの鳴いている期間と同じくらい…とまで言えるかどうかはわからないけど、プロ野球選手が野球に打ち込んでいる期間より少ないことは確かだろう。その原因が「多忙」のせいなのか、単なる怠慢のせいなのかという疑問も、そもそもこういうことを書いている時間が冗長なのではないかという指摘・批判も、ひとまずは甘受しますです。はい。