翻訳書『正義と差異の政治』刊行

 この度、飯田文雄先生、苅田真司先生、河村真実さん、山田祥子さんとの共訳で、アイリス・マリオン・ヤング『正義と差異の政治』(法政大学出版局、2020年)を刊行しました。原著は、1989年に刊行された、Iris Marion Young, Justice and the Politics of Difference, Princeton University Press です。この本、『正義と差異の政治』は、特に1970年代以降に主流となった現代のリベラリズム・正義論が、文化やジェンダーなどの「差異」の問題の考慮において不十分であることを鋭く指摘した著作として、政治理論・政治哲学における「現代の古典」と言ってもよい地位を占める著作だと思います。翻訳プロジェクトが始まってから、かなりの時間が経ってしまいましたが、何とかこの重要な本の翻訳を刊行できたことを、喜びたいと思っています。

Justice and the Politics of Difference

Justice and the Politics of Difference

 なお、本書以外のヤングの著作の翻訳としては、『正義への責任』(岡野八代・池田直子訳)岩波書店、2014年があります。また、『正義と差異の政治』とほぼ同じ時期に刊行された、フェミニスト政治理論・政治哲学の代表的な本の翻訳として、その他に、スーザン・オーキン(山根純佳・内藤準・久保田裕之訳)『正義・ジェンダー・家族』岩波書店、2013年、キャロル・ペイトマン(山田竜作訳)『秩序を乱す女たち?――政治理論とフェミニズム』法政大学出版局、2014年、キャロル・ペイトマン(中村敏子訳)『社会契約と性契約――近代国家はいかに成立したのか』岩波書店、2017年、などがあります。(もし余裕があれば)これらと併せて読んでみると、政治理論・政治哲学の分野でフェミニズムの問題関心を扱うとはどのようなことなのかについての理解が深まると思います。
正義への責任

正義への責任

正義・ジェンダー・家族

正義・ジェンダー・家族

論文刊行

 この度、熟議民主主義に関する学術雑誌 Journal of Deliberative Democracy, Vol. 16, No. 2, 2020 に、拙稿 'Another Way for Deepening Democracy without Shortcuts' が掲載されました。Journal of Deliberative Democracy は、以前は Journal of Public Deliberation という名称で、今年から(第16巻から)雑誌の名称を変えています。本号は、2019年末に刊行された Cristina Lafont, Democracy without Shortcuts (Oxford University Press) をめぐる誌上シンポジウムとして企画されています。
 リンク先を見ていただくとわかりますが、寄稿者は、熟議民主主義研究の錚々たるメンバーです。Jane Mansbridge, Robert Goodin, James Fishkin, Andre Bachtiger, Simone Chambers, Mark E. Warren などが名前を連ねています。冒頭に、Jurgen Habermas による「コメンタリー」も掲載され、著者のLafontによるリプライもあります。私の論文は短いものですが、こうしたメンバーに混じって拙稿を掲載してもらえたことは、 私にとって大変光栄かつうれしいことです(なお、特集ですので、依頼を受けた上で査読を経ています)。下記のリンク先から、ダウンロードできます(他の論文もできます)。

delibdemjournal.org


 拙稿は、民主主義の回路を「ショートカット」している諸議論を批判するLafontの基本的な方向性には賛意を示しつつ、「ショートカットなき民主主義」を目指す「もう一つの道」があるのではないか、と問題提起するものです。その際、Lafontが重視するself-government(自己統治)の概念に注目し、これをより多層化・多元化して考えていくべきではないか、という議論を行いました。もちろん(?)、私の持論の家族などの私的領域をも、一つの自立した自己統治の場として捉えていくという話です。単に多層化・多元化というだけではなく、熟議システム論の枠組みを援用することで、家族を「熟議システム」として捉えることを試みました。この話は、拙稿「熟議システムとしての家族」(拙編『日常生活と政治』岩波書店、2019年)でも行っていますが、本稿では「システム」としての家族の境界線をより拡張して理解できることを論じました。
 そういうわけで、私としては自分の主に日本語で書いてきた議論を(2014年の英語論文はありますが)、英語でも展開するとともに、少々発展させたつもりです。その意味では、海外の研究者により私の考えを知ってもらえる機会となったと思います。もっとも、他の原稿を読むと自分の原稿と比較して落ち込んでしまいそうなので、まだ読んでいませんけれども(苦笑)。
 

第6回日本ミニ・パブリックス研究フォーラム(12月5日・オンライン)

下記の要領で、第6回日本ミニ・パブリックス研究フォーラムを開催します。
今回は、オンラインでの開催となります。参加を希望される方は、下記連絡先までご連絡ください。参加方法をお知らせします。

〈日時〉
2020年12月5日(土)13時30分~16時40分(オンラインでの開催)

〈プログラム〉
13:30〜13:35 開会の挨拶
13:35〜14:20 三上直之(北海道大学)「気候市民会議:日本における可能性と課題」
14:20〜15:05 徳田太郎(法政大学)「ミニ・パブリックス内/外のファシリテーション」
15:05〜15:15 休憩 10分
15:15〜16:00岡﨑晴輝(九州大学)「抽選制市民院の構想」
16:00〜16:20 一年間の報告(日本、世界)
16:20〜16:35 意見交換
16:35〜16:40 閉会の挨拶

※参加申し込み先(11月30日(月)までにお願いします)
東京工業大学坂野研究室内 日本ミニ・パブリックス研究フォーラム事務局
e-mail: sakano.t.aa[at]m.titech.ac.jp

報告者の岡﨑晴輝さんが翻訳(共訳)された、レイブルック『選挙制を疑う』(法政大学出版局、2019年)です。

頂きもの

 「頂きもの」の紹介も、やや久しぶりになりました。その上、網羅的ではないのですが、お許しください。

1)梅澤佑介さんから、『市民の義務としての〈反乱〉――イギリス政治思想史におけるシティズンシップ論の系譜』(慶應義塾大学出版会、2020年)を頂きました。どうもありがとうございます。T・H・グリーンからラスキへと至ります。

2)毛利透さんから、『国家と自由の法理論――熟議の民主政の見地から』(岩波書店、2020年)を頂きました。どうもありがとうございます。毛利さんには、拙共編『ハーバーマスを読む』(ナカニシヤ出版、2020年)にもご寄稿頂いています(『国家と自由の法理論』の第1章と同じものですが、関係各方面了承済みです)。
国家と自由の法理論――熟議の民主政の見地から

国家と自由の法理論――熟議の民主政の見地から

  • 作者:毛利 透
  • 発売日: 2020/11/26
  • メディア: 単行本
3)編者の那須耕介先生と平井亮輔先生から、『レクチャー法哲学』(法律文化社、2020年)を頂きました。どうもありがとうございます。法哲学の入門的教科書です。4)訳者の松尾陽さんと成原慧さんから、プリマヴェラ・デ・フィリッピ/アーロン・ライト著、片桐直人編訳、栗田昌裕・三部裕幸・成原慧・福田雅樹・松尾陽訳『ブロックチェーンと法――〈暗号の法〉がもたらすコードの支配』(弘文堂、2020年)を頂きました。どうもありがとうございます。法学分野では、AIやブロックチェーンなどの先端的な状況に関する研究がとても盛んだなと感じます。5)齋藤純一先生から、『政治と複数性――民主的な公共性にむけて』(岩波現代文庫、2020年)を頂きました。どうもありがとうございます。2008年に刊行された同タイトルの著作の、岩波現代文庫版です。もう12年も経つのか!、と驚きます。6)水谷仁さんから、『「使命」としての政治――マックス・ヴェーバーにおける政治と「生の意味」』(風行社、2020年)を頂きました。どうもありがとうございます。私は、水谷さんの副指導教員・副査だったので、今回の刊行を大変感慨深く思います。7)李正吉さんから、『韓国政治の転換点――「分断」と民主主義の政治力学』(国際書院、2020年)を頂きました。どうもありがとうございます。李さんについても、私は副指導教員でしたので(ただし、博論審査時は、在外研究のため不在でした)、やはり今回の刊行を感慨深く思っています。8)著者の中西亮太さんから、論文「熟議をめぐるリベラル市民性教育の再検討――ロールズの "reasonable" 概念と熟議論に沿って」『教育哲学研究』第122号、2020年11月、20-38頁、を頂きました。どうもありがとうございます。

第24回社会政治研究会のご案内

 第24回社会政治研究会を、下記の要領で開催します。今回も、Zoomを用いた遠隔での開催となります。どなたでも参加できますが、事前の参加申し込みが必要です(下記参照)。


〇日時 2020年11月19日(木)18:00~20:10(※開始時間にご注意ください)

〇会場 Zoomによるオンライン開催(下記参照)

〇第一報告:森山花鈴(南山大学)「コロナ禍における自殺対策」

〇第二報告:波多野敏(名古屋大学)「フランス革命と国家による生存保障の試み」


※参加希望の方は、前日(11月18日)までに、お名前と所属を明記のうえお申込下さい。Zoomのアドレスをお知らせします。
連絡先:kamimura[at]nagoya-u.jp。


【運営委員】大岡頼光(中京大学)、上村泰裕(名古屋大学)、田村哲樹(名古屋大学)、山岸敬和(南山大学)

第31回(11月14日)東海地区政治思想研究会のご案内

 第31回東海地区政治思想研究会を、下記の要領で開催します。今回は、Zoomを用いた遠隔での開催となります。どなたでも参加できますが、参加申し込みが必要です(下記参照)。

〇日時 2020年11月14日(土) 14時~17時15分
〇報告(1) 小野藍氏(九州大学大学院)
「集団的自己決定による領土権の正当化ーーマーガレット・ムーアの議論の批判的検討(仮)」
〇報告(2) 西田敏宏氏(椙山女学園大学)
「戦間期日本の国際協調外交ーー幣原外交再考」


※参加を希望される方は、開催の1週間前(11月7日)までに、下記までご連絡ください。その後、zoomのID、パスワード等をご案内いたします。
・連絡先:長谷川一年 kazuhase617[at]yahoo.co.jp

【運営委員(50音順)】大園誠(名古屋大学/同志社大学)、大竹弘二(南山大学)、田村哲樹(名古屋大学)、長谷川一年(同志社大学)

民主主義と「あきらめること(諦念)」、についてのメモ書き

 民主主義あるいは政治一般の意義が語られる時には、今回の私の表現では「あきらめないこと」によって語られることが多い。「自然」に対する「作為」(丸山眞男)、「運命」に対する「政治」(アンドリュー・ギャンブル)といった表現には、政治・民主主義とは、現在の状態を自明のものとして(「自然」のものとして/「運命」として)受け入れるのではなく、人々の力で代えることができるのであり、それこそが政治の存在理由だ、といった意味が込められていると思われる。しかし、これとは違う見方はできないだろうか。つまり、政治の中でも特に民主主義を「あきらめること」によって特徴づけることである。
 例えば、代表制民主主義について、しばしば本人たる有権者と代理人たる代表(政治家)との関係で捉えられる。この関係において、「本人」は「代理人」に本人の意見や要望を託し、「代理人」にはそれを本人に代わって実現することが期待されているとされる。そして、もしその託されたものをうまく実現できなかった場合には、本人による代理人の解任、つまり選挙を通じた不信任が示されるとされる。ここには、代理人は本人の意見や要望を実現するべきという規範的期待が込められているとともに、代理人は本人ではない以上、必ずその期待に応えられるとも限らない、ということも含意されているように思われる。そうだとすれば、この本人-代理人関係としての代表制民主主義には、「あきらめること」のモメントがビルトインされている、と言えないだろうか。
〔加筆〕
 あるいは、熟議民主主義について。この民主主義では、話し合いの中での「意見の変容」が期待される。このことを、「自分が妥当と判断した理由を受け入れて意見を変える」と捉えると、自らの主体的な判断のように見える。しかし、「自分の元々の意見を妥当性の基準に照らしてあきらめる」と考えることもできないだろうか。熟議民主主義では、「みんな」の意見が等しく考慮されるべきだが、だからといって一人一人の元々の意見がそのまま尊重されるわけではない。そこには、自分の意見を「あきらめる」ことも含まれているのではないだろうか。
 さらに、対立・敵対性を重視する闘技民主主義の場合はどうだろうか。この民主主義において対立・敵対性が重視されるということは、「誰もが同じ立場になる」ことの断念を意味する。つまり、どれほど自分の(自分の側の)意見が「正しい」と自分では思っていたとしても、そこに決して賛成し同一化することのない「他者」が存在する。闘技民主主義とは、そのような他者とも最低限の共有されたルールの下で対立関係を維持することである。ここには、どうしても同一化できない他者への「あきらめ」が内包されていると言えるのではないか。
 このように考えると、民主主義には「あきらめること」が伴っていると言えそうである。これは、「現状を所与のものとして受け入れる」という意味での「あきらめ」とは異なる(だろう)。しかし、民主主義で物事を決めるということは、「自分が思うようにはいかないかもしれない」ということを受け入れることでもある、ということである。