社会保険と連帯

 社会保険を通じた連帯を福祉(社会)国家の機軸と見なし、社会保険の危機をもって連帯の危機、福祉国家の危機という風に理解する議論がある。間違いではないけれども、若干の違和感がある。
 第一に、この議論は福祉国家一般というよりも、大陸型の福祉国家に典型的に当てはまる議論ではないだろうか。例えば、スウェーデンで、普遍主義的福祉国家発展の鍵となったのは、賦課方式を取り入れた付加年金制度だったはずである。

【補足】この一点目は、どうも的を外したというか、多分に間違っていた模様。コメント欄も参照してください。いや、僕は別にスウェーデンを擁護したかったわけではなく、独仏と共通性があるのであれば、下記の第二点目の議論がやっぱり当てはまるということで、それはそれで個人的には好都合なのですが…とか言い訳してしまうのでした。


 第二に、保険方式による「連帯」がしばしば「働く(男性の)人々の連帯」であったことは、例えば、クラウス・オッフェなども以前から指摘していたことだが、こういう点はどう考えられているのか。田中拓道氏などは、この点に自覚的で、著書『貧困と共和国』において次のように述べている。

 他方でこの〔「連帯」の〕思想は、抽象的「人間」を産業社会を担う「労働する個人」へと読み替えることで、個人に様々な「義務」を要請する思想として語られた。(256頁)

 こうして、現代フランス福祉国家の再編過程は、20世紀初頭に成立した合意への問い直しを迫っている。従来の「連帯」原理は、「市民」であることの権利と教育・就労尾義務の対応、個人と社会の「契約」という論理、「社会進歩」を前提とした個人の役割の規定などの点において、一定の「排除」の契機を孕んでいたことが指摘されなければならないだろう。(259頁)

貧困と共和国―社会的連帯の誕生

貧困と共和国―社会的連帯の誕生