読書

いくつか論文を読む。というか、最近、日本語のものしか読んでいないなあ。まあいいか。

  • 山崎 望「ポスト・リベラル/ナショナルな福祉をめぐって――現代民主主義論の観点から」『政治思想研究』第11号、2011年。
  • 田中拓道「脱商品化とシティズンシップ――福祉国家の一般理論のために」『思想』第1043号、2011年3月。


山崎論文は、リベラル・ナショナリズム、熟議民主主義、(ハート/ネグリの)絶対的民主主義の議論を整理し、それぞれの立場から見た場合に、福祉における包摂/排除がどのように表れ得るのかを考察した論文。それぞれの議論を類型として切り出す時の大胆かつ手際のよいやり方が、とても山崎さんらしい。
難点を言えば、主に焦点が当たっているのは、福祉というよりも政体への包摂なのではないかという気がすること。それは恐らく、彼の関心が、国民国家の境界にあるからではないかと思う。もちろん、その問題は重要なのだけれど、福祉国家の再編の議論では、それ以外に〈労働と福祉〉の問題系が大きなウェイトを占めているはずである。この部分の考察が、全くないわけではないのだけれど、「政体」への関心の後景に退いているように思える。彼の議論において、福祉論と民主主義論とがやや無条件に結びつけられているように見えるのも、恐らく、〈労働と福祉〉の問題系の考察が弱いからではないかと思われる。
田中論文は、「脱商品化decommodification」の概念を再考し、再商品化/脱商品化を、今後の主たる政治的対抗軸として考えていくべきことを提起する。田中さんなりの野心的な理論的試みとして、また、僕自身、脱商品化概念には関心を持ってきたので、興味深く読んだ。特に、「脱商品化」に「規範的水準」を読みこむ試みが重要である。
ただし、いくつかさらに検討すべき論点があるように思われる。一つは、そこまで行ってしまうと、ではなぜあえて(再)商品化/脱商品化という対概念を持ち出さなければならないのかが、少々不明確になってしまうのではないかということである。たとえばハーバーマスのシステム/生活世界〉の図式ではなぜダメなのか、という疑問が出てくるかもしれない。「物象化」をもたらすのは資本主義だけではなく官僚制もなのだ、というのがハーバーマスの議論だったわけで、そうだとすれば、(再)商品化/脱商品化の軸は、議論の範囲をむしろ狭めてしまうものなのかもしれない。もちろん、「福祉国家」の主たる問題系を〈労働と福祉〉にあると見た場合には、(再)商品化/脱商品化の方がより問題を明確に把握していると言えるのだろうけれども。
もう一つは、脱商品化したシティズンシップ、とりわけ社会的シティズンシップとはどのようなものかが、やや不明確に見える点である。それは、規範・アイデンティティだけでなく、物質的再配分を求めることにも関わっているとは述べられている。しかし、とりわけ脱商品化した社会的シティズンシップを保障する物質的再配分の原理なり制度についてのいっそうの考察が必要であるように思われる。個人的な好みを言えば、その中には、ベーシック・インカムが含まれるであろうと言いたいけれども、どうだろうか。