博論とか

 (課程)博士論文というものは、単なる(まさに運転免許証のような)「ライセンス」として考えられるべきものか、はたまた「博士」というからには、A級ライセンスとまでいうかどうかはともかくとして、単なる免許証+アルファ的なものなのか。「公式」には、文系においても、前者ということになったのではないかと思いつつ、だからといって「後期課程に進学した人がほぼ確実に3〜4年でとる」というところまで、「免許証」化されていないことも事実だろう。
 僕自身は、もっと「免許証化」の方向を実質化していくべきだと思っているのだが、さてさてどんなものだろうか。まじめに考えるべきことだと思う。
 ところで、別のところでミスチルのことが話題になっていたので、博論との関係で印象深いことを一つ。僕が博論の追い込みをかけていたのは、1998年の秋なのだが、そのときの「テーマソング」にしていたのが、ミスチルの「終わりなき旅」だった。

終わりなき旅

終わりなき旅

 毎日大学に行くときにこの曲を聞いて、「よしやるぞ!」とコンセントレーションを図っていた。「もっと大きなはずの自分」「まだ限界だなんて思っちゃいないさ」といったあたり、コンセントレーションにはもってこいだったと思う。
 実は博論の半分近くの分量は、その秋の実質1ヶ月ちょっとで書いたのだが(12月提出なのに、9月から10月上旬は大スランプだった。確か)、その時は、まさに食事と寝る以外は、全て論文書きに費やしていたんじゃないかと思う*1。我ながらよく集中していたせいか、その短い期間で二回も、家の鍵をかけ忘れて外出したことがあったと記憶している。夜中に帰ってくると、鍵があいていて「ギクリ」としたものだ…と書いていて、「あれ、でも、妻がいたはずだな??」と思い直す。うーん、詳しい状況は覚えていないが、要するに、間違いなく二回くらいは、鍵をかけわすれて出て行った、それくらい執筆のみに集中していた、という話。
 というわけで、「終わりなき旅」の記憶は、博論執筆の思い出とともにあるのだった。
 でも、もう8年も前の話とは…orz。あの頃は、子どもたちもいなかったんだなあ…。

*1:今もそうしろ、と言われそうだ。