引用の仕方などなど

レポートなどを作成中のみなさんのために、下記のサイトからとーっても重要なご指摘の一部をご紹介。ちょっと長くなりますが引用します(強調箇所は引用者によるものです)。
http://spaces.msn.com/members/myamadakg/Blog/cns/

webには多くの情報がありますが,そのうちどれが信じるに値し,どれがそうでないかを判断するのは容易ではありません.ゼミでも論じたように,われわれは全知全能ではないので,自分が経験できない問題について判断を下すにあたっては,それについて知識を持っている人から信頼できる情報を得なければなりません.誰が信頼できる情報を提供してくれるのかがわかると,我々の判断はかなり楽になります.しかしそのためにわれわれは,信頼できる情報を提供してくれる人が誰なのかを見分ける必要があります
 われわれのよく知っている人が提供してくれる情報の信頼性を評価することは比較的容易です.普段から親しく付き合っている人やよく知っている人については,誰がどの問題について知識があり,どの問題については疎いのか,われわれは知っているからです.またそういう人とはコミュニケーションのチャンスも多いので,その人の信頼性についてもすぐに評価することができます.
 しかし,われわれは普段付き合いのない人からの情報にも頼らなければいけない場面が結構あります.レポートを作成するとき,我々は口をきいたこともない人の著作をひもとき,その情報の信頼性を査定する必要に迫られます.その際,信じるに値しない情報に頼っている学生のレポートは当然高く評価されません.つまりわれわれは見ず知らずの人間が発信する情報の信頼性を自分で判断しなければならない機会が結構あるのです.

ということで、レポートその他で、文献、論文、あるいはサイトから引用する場合、引用元を明記することは必須であるうえに、それが「信頼に足る」情報であるかどうかも、見極めようと努力していただきたいと思うのです。つまり、読む側に「こんなところから引用して」と思われることは、文章の「不信」の原因になるのです。
では、どういう情報であれば「信頼に足る」のでしょうか。「信頼に足る」かどうかの判断を、「制度」が補助してくれる場合があります。というか、たいていの場合、人間は自分自身の判断力の限界を補完すべく、「制度を通じた信頼」の助けを得ているといえるでしょう。たとえば、本として出版されている(これを制度と見なしましょう)情報は、そうでない情報よりも「本になっている」(本となるには、それなりのチェックを経ているだろう)ということを理由として「信頼」度が高い、と一般的には言えます。
 しかし、確かに制度によってある程度「信頼」は媒介されますが、完全に、ではありません。本のなかにも、いわゆる「駄本」というものがあります。したがって、場合によっては、制度への「信頼」を懐疑する能力、つまり「不信」を持つ能力も必要になることでしょう。すなわち、引用元が果たして「信頼に足る著者・本」なのかどうか、を見極める能力が必要なのです。
 この「制度への不信」の能力は常に「全開」にする必要があるとは限りません。そうならないように、制度というものが存在するのです。ただし、必要な時には行使できなければなりません。そして、その能力は、レポートなどで取り上げるテーマに関する研究分野に精通することなしには得られません。
 ということで、レポートの「ツボ」を外さないためには、「レポートなんか、ササッと検索して情報を拾えばいいや」ではなくて、日頃からしっかり勉強しておくことが必要、ということなのでした。