今日は、昨年ドライゼクのところで学位を取得し、現在は、ANUの別のスクール(?)でポスドクをしているカティーが報告するセミナーに出席。
彼女と別の院生にも久しぶりに会えて、よかった。
ところで、別のところでちょっとだけ書いたのだけれど、キャンベラという街は、言わば郊外に新しく造成された公務員住宅のようなものなのだと思う・・・というのは、妻のアイデアなのだけれど。
キャンベラは、人々の異質性が高いところだ。まず、人の出入りが激しい。僕が滞在している2年弱の間にも、たくさんの人が来ては去っていった(もちろん、元々いた人も去っていった)。そして、ここには、様々なナショナリティ、エスニシティの人々がいる。そういうわけで、この街の人々の異質性は、とても高い。
しかし、他方で、この街の人々の同質性は高いとも言える。つまり、大抵の人は、大学関係者(か、政府関係者)というわけだ。
そして、街並み自体は、都会として見た場合には面白みがない。雑然さに欠けるし、(だから)商業施設や娯楽施設も、ないとは言わないが、もっと大きな都市に比べたら圧倒的に物足りない。
同じような境遇だが見知らぬ人々が集まり、その流動性がとても高いのは、公務員住宅も同様である。そして、郊外に作られたその団地は、しばしば無機質で面白みがなく(と、そこに住んでいない人には思われ)、そして商業施設や娯楽施設も不足気味である(であった)。
だから、キャンベラとその手の公務員住宅は、実は結構似ているのではないかと思うのだ。
僕は、途中で子どもたちがいたものの、そしてたくさんのここでできた友人たちに助けてもらってはいるものの、基本的には一人でこの街に住んでいる。一人で住むには、この街は寂しすぎると思ってきた(し、それは今でも、思っている)。でも、「そうか、ここは公務員住宅なんだ」と思ったら、ちょっと感じ方が変わってきたような気もする。僕が幼少年期を過ごしたのが、まさに郊外に造成された、(当初は)スーパーやバス路線すらない公務員住宅だったからである。そこは、確かに無機質と言えば無機質なアパートが画一的に立ち並び、毎年、友人の誰かが引っ越していく喪失感に直面させられるようなところだった。でも、そこは、まちがいなく僕の「ホーム」なのである。だとすれば、キャンベラもまた「ホーム」のように感じることができるのではないか、と思うのである。
まあ、これは、ちょっと無理やりすぎる話であることはわかっている(だから、ブログで書いているわけだし)。でも、そう考えることで、僕は、少し気が楽になった。だから、このアイデアを言ってくれた妻に、感謝したい。まあ、会話の中での思いつきの発言なのだけれども。
とはいえ……と再び反転するけれど、やっぱりここは、本当の「ホーム」ではない。僕はやっぱり、僕の本当の「ホーム」に戻りたいとも思う。キャンベラを「ホーム」と思えるようになったのは長くいたからかもしれない。それでも、本当の「ホーム」から離れている時間は、長くなり過ぎている。研究面では、いろいろ不十分な点も痛感しているし、戻ってからの日常の仕事のことを考えると、少々(かなり)憂鬱だけれども、それでも「ホーム」に戻りたいなと思っている。