読書

帰りの新幹線で読み進めるも、まだ先は長し。

ナショナリティについて

ナショナリティについて

とりあえず、互恵性福祉国家に関する以下の記述をメモ。

もし市民たちが、ひたすらシティズンシップの実践によってのみ相互に結びつき、また公正さの原則に突き動かされているとしたら、シティズンシップの権利と義務はどんなものになるか想像してみよう。彼らは厳密な相互性というものを強調するだろう。いい換えれば、かりに政治的協働が存在しなかった場合を基準にして、市民たちは自分が貢献した分だけ、その結社から利益を受け取ることを期待するだろう。だから、たとえば再配分のための課税が受け入れられるのは、各人がある一定の資産水準以下に落ちこんだときに備えて、国家を通して自分自身に保険をかけておくのが合理的であると考えた場合に限られるだろう。民間の保険も可能であることを考慮すれば、ナショナリティが与えるような共同体的背景を欠いた国家というものは、構成員に対して基本的な安全保障しか提供しない最小国家と大差ないと考えられよう。とりわけ、相互性の論理にのみ従うならば、永久に不利な立場にある人々に対して国家が機会と資源を提供しなければならない理由を説明するのは難しい。こうした形で生じるニーズに応えるという義務は、私たちがあらかじめ負っているナショナリティの義務の中に含まれているからこそ、まさしくシティズンシップの実践は、現代国家において一般に見出されるような再配分の原理を含んでいるのである。(125頁)