議論しあうことの大切さ

 院生時代から、先生に「院生同士でもっとディスカッションしないとダメだ」「ゼミに出ることを負担だと思っていたらダメだ」とよく言われてきました。
 そのように言われると、一方では「そう言われなくても、それなりにはやっている」と思い、他方では「そう言われても、なかなかできない(とくに論文執筆で精神的に追い込まれているときに、いくつもゼミに出ることはやっぱり難しい)」と思ってきました。
 だから、今でも、上記のようなアドバイスの本当の意味での大切さがわかるのは、院生が終わってからである、と思っていますし、院生にもそのように言います(でも今言うけどね、とも)。
 と、いう風に思っていることは今でも変わりがないのですが、でもやっぱりディスカッションの機会は大切だよなあ、とあらためて思うのです(なんだそりゃ)。
 ディスカッションの効用を思いつくままに挙げてみると、次のようになるでしょうか。あんまりきちっと整理できていませんけど。


・自分の無知や間違いに気づく(比較的単純な意味で)。
・自分の知らない議論動向や各種情報を得ることができる(しかも、思いがけず、というところが重要)。
・人前でしゃべることで、考えがまとまる。
・自分の主張のどこが弱いのか、わかる。
・他者の主張のどこが弱いのか、評価できるようになる。
・問題提起の仕方、批判の仕方、応答の仕方を学ぶことができる。
・自分とは違う考え・意見に出会うことができる。
・うまくすると、自分の考えを進めるヒント、新しい論点を見つけることができる。


 ふむふむ。いろいろな効用があるじゃないですか(コラ)。もちろん、天才な人は、わざわざ人とディスカッションなどしなくても、一人で知見を深め、他者の議論を評価し、自らの議論を明確に展開できるのかもしれません。が、残念ながらそういう人は、あんまりいないのですね。学問をやり続けるためには、常に自分の殻というか自分で作った知的境界線を見直して、その外部へと踏み出していく必要があります。一人でそれをやろうと思っても、凡人には限界があり、「独りよがり」とか「井の中の蛙」と言われるようになってしまうのですね。
 というわけで、新年早々、やはり議論をする機会というのは大切だな、としみじみと思う次第です。