読書

追い込まれれば追い込まれるほど逃避行動に走るのは、普遍的なメカニズムでしょうか。

ヒロシマ独立論

ヒロシマ独立論

 四分の三ほど読む。「ヒロシマ独立」という話とは直接関係しませんが、「現在でも、広島で生まれ育ったものには、川が流れ、山が見えて、海も望めるような場所でなければ落ち着かないという感覚があるようだ。」(13頁)というところ、「たしかに」と思ってしまったのでした。中心部に大きな川がなく、広大な平野で山が見えず、海もあるけど近くまで行かないと見えない名古屋では、どうも落ち着かないようなのです。
 あと、ここ。

・・・基町(もとまち)地区再開発は1969年から78年のあいだに実施されている。76年から相生橋を通る広電を通学に使っていた私は、末期の原爆スラムを毎日見ていたことになる。これは、私にとって、最も1970年代的な広島の風景でもあった。(53-54頁)


 著者も書いているように、漫画『夕凪の街・桜の国』の舞台になっている街が、上記の原爆スラムです。僕がまさにその原爆スラム復興の再開発で作られた高層住宅団地内に作られた保育園に通っていたのが、73年ごろから76年ごろまで。本川(か元安川)の川岸になお残る家々、造成で瓦礫の山となった敷地のあいだをぬって走るバス、暗い高層住宅のエレベータ、新しくできたショッピングセンターとデパート・・・廃墟と復興の混在する風景が断片的な記憶として残っています。