「両立」は大変

 明日の夜、某所で、「仕事と子育ての両立」講演会の講師の一人として話をします。
 でも、やっぱり「両立」ってしんどいです。僕の場合は、身体的にというよりは、精神的に、ですが。
 今日も保育園に行ってきたばかりですが、比較的ゆっくり時間がとれるとはいえ、それでも、朝、バタバタしながら子どもを連れて行くと、どっと疲れが出ます。以前にもおんなじようなことを書いたような気もしますが、「一仕事終えてコーヒーで一服」の気分なのです。
 そういう時は、正直言って、「なんで仕事をしているのかなあ」と思うときもあります。
 ちょうど、今朝の朝日新聞(05年9月21日中部本社版)に投書が載っていました。30代半ばの女性からの投稿で、フルタイムで勤めていたが、子どもが生まれて育児休業を経たのち、復職するかどうかでいろいろと悩んだ末、元の職場を辞め、自宅近くのパートの職に就くことにしたそうです。もちろん、彼女は、元の職場が気に入っていたし、30代半ばで仕事を辞めて再びフルタイムの職に就けるとは思っていません。子どもはそのうち大きくなるのであり、今辞めるのはもったいない、とも思いました。それでも、彼女は、彼女の言葉で言えば、「特急」から「普通電車」に乗り換える道を選びました。
 一体自分は何をしているのか、と自問します。子育てをしている、といっても、結局、要所要所で妻頼みであり、「仕事優先」です。その「仕事」の中では、授業や「学内行政」と言っている学務の仕事よりも、まだまだ研究でがんばりたい、アカデミック・コミュニティで認められたい、という思いがあります。でも、前者は、それだけに徹するのであれば比較的気持ちの切り替えができる(したがって、ワークとライフの切り替えもしやすい)のに対して、後者は、(少なくとも僕の場合)存分に時間を使わなければ仕事モードを維持することができません。したがって、日々昼夜を問わず「やらなければ」という思い、「締め切りが・・・」という焦りに駆られることになります。そして、そういう焦りに駆られると、授業や学務の仕事に手をつけたくないという思いが強まり、後手後手に回り、かえって悪い結果を招くことになります。そうして、「子どもがいなければもっと時間を使えるのになあ」と思うことになります。
 でも、同時に、子どもはとてもかわいく思えるもので、できるだけ面倒を見ていてあげたい、とも、心から思います。たった一ヶ月の育休でさえ、ルーティン作業に少々飽き飽きした経験を持つにもかかわらず、それでも子どもと一緒の時間を長く取りたいと感じます。妻にばかり、一方的に家事・子育てを押し付けるのも、イヤなのです。理念としては、「半分こイズム」でいきたいのです*1
 恐らく、自分の中で研究の占めるウェイトが高いこと(これは研究者として当然でしょうけれども)が、両義的な効果を生み出すのでしょう。仕事の中では、研究が最も中心にあるり、「ツボ」にはまれば最も楽しいのですが、子育てとの関係では、研究ほど、仕事と家庭とを切り離しにくいものもないからです。
 研究者は、「仕事が趣味でなければならない」「研究が楽しくて楽しくて仕方なければならない」「昼夜を忘れて研究に没頭できなければならない」などと、よく言われます。しかし、僕は、元々研究は嫌いではないが「楽しくて仕方がない」とまでは思い切れません。ただし、別に他にもっと楽しい何かを見出しているわけではありません。でも、「楽しくて仕方なさそう」な人を見ると、「ああ、自分とは違うなあ」と感じるだけです。だから、先に書いたように、研究モードになるまでには時間がかかります。
 また、そもそも、家庭のことがあると、「昼夜を忘れて没頭」するわけにはいきません。休日といえども、です。
 でも、もしかしたら、もっともっと「研究が楽しい」と思う人であれば、むしろ切り替えもきちんとできるのかもしれません。マンガ好きの人は、ちょっとの時間でもすぐにマンガに没頭することができます。それと同じことです。そういう意味では、そもそも僕自身が研究者としてあまりふさわしい人物ではない、ということなのかもしれません。
 
 グチにしては長くなりすぎました。そして、乱筆乱文失礼しました。なんだかんだいって、相対的に恵まれたポジションにあることは自覚しているつもりです(だから、ホントにただのグチなのです)。
「両立」・・・なんとかしますよ!書いているうちに、ちょっとすっきりしましたし。

*1:そういう気持ちでいなければ、あっというまにやらなくなってしまう。だって、ラクですから。