これはどうなんだ?と思うこと

すごい風が吹き荒れていたのでした、金沢は。なんか台風みたいでしたね。木曜日の日帰り金沢出張の話です。途中長浜を越えたあたりから雪景色になり、「どうなるんだ?」と思っていたら、日本海側に出たら雪はほとんどありませんでした。
 講演は、なぜ男女共同参画が必要なのかという話しと、名古屋大学の取組の話と、2本立てでやってきました。かなり駆け足でしたけども、来ていただいた皆さんにメッセージはうまく伝わったでしょうか。
 しかし、「男女共同参画」ではなく、例の「ジェンダーフリー」についてですが、「ジェンダーフリー教育のおかげで」、「中学生が教室で男女机を隣り合わせで座っている(ので問題だ)」というような意見もあるようですね。「?」と思ったら、「中学生くらいの敏感な年頃の生徒たちが男女で机をくっつけて座っていたら変な気持ちになって手を握りたくなどなってしまうではないか」というようなことらしいのです。
 「あー、そうか!」って、普通思わないと思うんですが・・・。大体「ジェンダーフリー」だから「机をくっつける」という因果関係が怪しいわけで、「『ジェンダーフリー』が言われ出すずっと前からこんなことは行われていたんじゃないか」と思われるわけです。もっとも、実証的に調べたわけではないですが、でも自分が中学の時だってくっつけてたですよ。そうじゃなかったですか?
 で、机が離れていればいいらしいんですけど、「変な気持ち」になるかどうかって、そんな単純なことなのでしょうか。まあ確かに手が握れるくらいの距離にまで接近することがなければ、仮に手を握ろうと思っても、そもそも物理的に無理です。でも、それくらいの距離になんて近づく気さえあれば、いくらでも接近できます。かつ、それこそ「多感な」中学生時代ですから、(別に机がくっついていようといまいと)そりゃもう気になっている相手を見ただけでも、ドキドキして時にはアタマがまわらなくなって、なんていうことが大なり小なりあって当然なのではないかと思うのです。そういうことを経験しながらオトナになっていくのが思春期ってもんじゃないのでしょうか。
 ところで、そういう気持ちになるのはやっぱり「不謹慎」で、そもそも男女が一緒にいることが問題だ、といって、男女別学を支持する人もいないではないらしいです。しかし、それこそ「多感な」時代に、隔離しておけば「不謹慎」が感情を持たない、という風に考える方が無理があります。むしろ、よく言われえることだと思いますが、「多感な」時期に男女を別々にして(少なくとも学内で)日常的に接する機会を提供しないことで、かえって過度に「男女」を意識するようになってしまうとか、あらぬ「妄想」「幻想」をいだくようになるとか、そういうことも多分にありうると思います。
 もちろん、別に「過激な性行為」を推奨しているわけではありません。昔からそうだった(力説)と思いますが、「多感な」中学生の周りには既に常に極めて「怪しい」性情報の方が圧倒的に多く存在しているわけです.知り合いの中高の先生に聞く話でも、そういう「怪しい」知識に基づいた、あるいは単なる無知に基づいた「無謀な」行動がいっぱいあります。「男女机を並べる」ことを危惧するのではなく、そういった「怪しい」知識を正し、単なる「無知」を解消することの方が、よっぽど「健全な思春期」を過ごすことに役立つと思われます。そういう意味で、「怪しい知識」を持った子も、単に「無知な」子も、どちらも起こしてはいけない「寝た子」ではないでしょう。もう少し冷静に考えるべきです。
 問題は、「ドキドキする」気持ちそのものではなく(そういう気持ちは、少しくらいシチュエーションを変えたってなくならないものです)、それが「妄想」にならないようにすること、さらには「無謀な」行動に至らないようにすること、そのためにはどうしたらよいかを真剣に考えること、ではないでしょうか。