BOOWYについての思い出

 氷室京介さんがライブ活動を停止するということで少し感傷的になっているせいなのか、このところBOOWYの曲をよく聴いている。僕にとっては、BOOWYというのは、僕の高校時代の象徴の一つなので、どうしても思い入れがある。
 僕が高校に入ったのは1986年4月。5月か6月くらいになると、音楽ではどうやらBOOWYというバンドが一番カッコいいことになっているらしい、ということがわかってきた。でも、このバンドについては、1986年3月まで、つまり中学生時代にはほとんど聞いたことがなかった。新聞で一回名前を見たことがあるような気がするけれども、でも同級生が音楽のことを話すときに、BOOWYの名前を聞いたことはなかったと思う。
 それが高校に入ると、いきなりBOOWYだった。文化祭のバンド演奏も、ほとんどみんなBOOWYだったと思う。というか、僕は文化祭のバンド演奏で、初めてBOOWYというバンドの曲を聴いたのだったと思う。
 このブログでも以前に書いていると思うけれど、僕が高校から入学した高校は、私立の中高一貫校で、高校は私服OKの学校だった(今は高2から私服OKのようだ)。そういう学校には一定数そういう人がいるものかもしれないけれど、だから「お洒落な」人というのは、嫌でも目に入ってくる(正確には、そういう人ばかりではなかったのだけれど、とにかく目についてしまった)。中学では、チェッカーズのツンツンした髪型が一番はやっていたのに、高校で一番お洒落なのはボブ系のスタイルだったし、中学では数千円のチェックのシャツがお洒落なはずだったのに、高校ではラルフローレンのしかも赤やその他の結構派手な色のポロシャツがそうだったし、それにチノパン(というものも当時は知らなかった)をさらっと合わせていたりするし、履いている靴はスポーツメーカーのスニーカーではなくて、リーガルのローファーやプレーントゥだった。僕の中でBOOWYは、そういうものたちとセットで「かっこいいもの」として強いインパクトを与えるものだった。
 そういうわけで、当時はほとんどBOOWYの曲ばかり聴いていたのだけれど、実は、画像・動画を見る機会はあまりなかった(これはバスケットでも同じで、『月刊バスケットボール』は熱心に読んでいたけれど、実際のNBAのプレイヤーが動いているところを見たことはほとんどなかった)。たまにテレビで見るくらいで、もっぱら音だけを聴いていた。今は、某動画サイトなどで当時の映像を見ることができる。ああ、そんな感じだったんだ、と今更ながら何だか不思議な気持ちがする。