アンサー・ソング?

 ここのところ、尾崎豊の「僕が僕であるために」をミスター・チルドレンがカバーしたバージョンを聴いていた。しばらく聴いていると、ふと、GLAYの「Street Life」のことが思い浮かんだ。もしかしたら「Street Life」は「僕が僕であるために」のアンサー・ソングあるいはオマージュ的なものとして書かれたのではないか、と思ったのだ。
 Street Lifeは、GLAYの中でも僕が好きな曲の一つなのだけど、これまでそんなことを考えたことはなかった。でも、今になって歌詞を見比べてみると、モティーフがよく似ていると感じる。モティーフだけでなく、締めの部分なんて、もう明らかに「僕が僕であるために」を意識した詞としか思えない。「うわ〜、どうして今になってそんな風に思うんだろう?!」という感じがする(笑)。
 僕の素人理解では、両者の違いは自己像にある。あくまで「僕」自身にこだわり、「僕」に回帰していく尾崎に対して、GLAYでは「あなた」の存在が大きい。僕の好きなGLAYの詞からは、「『自分』のあり方は他者に依存している」というメッセージを読み取ることができるのではないか、と僕は思っている。「Street Life」にもそういうところが出ていると感じる。