読書

今日はぐだぐだモードなので更新の多いこと多いこと(言い訳です)。
さて、第5章のウィニーのところまで読了。章が進むごとに、だんだんどんどん自分の知らない世界に近づいている感じだけど(少なくとも5章からは実際の使用はしていないものになっていく)、内容的には、いろいろと考えさせられます。

アーキテクチャの生態系

アーキテクチャの生態系

 とりあえず、同じアーキテクチャでも、「それを利用するユーザーの側の欲望やコミュニケーション作法が異なるために、異なるイノベーションの経路が開かれ」るという指摘(156頁)は、興味深い。
 

以下は、思い付き的メモ。


アーキテクチャとは、「価値観や規範を内面化することなく特定の行動をとるように、意図的に制度を設計する」ということなわけですが、ただ、アーキテクチャについての記述のなかには、時には、「意図的に特定の行動をとらせる」ことも含まれているようにも見える。後者は、読み手の勘違いでなければ、厳密には「アーキテクチャ」の作用とはいえないものなのだろう。
・同じことの言い換えのようだが、それよりは、単なる疑問として、アーキテクチャの下での行動を「合理的選択」と記述することは妥当なのだろうか、それともそうではないのだろうか?「価値観や規範を内面化しない」ということと「合理的」ということとは、関係があるのかないのか。「合理的選択」というよりは、どっちかというと慣習的な行動という風にも見える。さて、どうなんでしょうね?
・などと書きましたが、やっぱり、「特定の行動をとることを合理的と判断させる」という要素が含まれるとすると、「アーキテクチャ」ではないんだろうな、という気が。
・ついでに、「意図せざる結果」ということともきっと違うんだろうな、とか。


最後に、どうでもいいことですが、「真逆」とか「無理」という表現がそれこそ無理なく(?)使用されているあたりに、世代の違いを感じざるをえません。。。こちらの世代的には、前者は「正反対」とかだろうし、後者は「不可能」とかだろうなとか思ってしまうわけです。まあなにしろちょうど10歳違いますからねえ。。。