三谷 2012

三谷武司「システム合理性の公共社会学――ルーマン理論の規範性」盛山和夫上野千鶴子武川正吾編『公共社会学[1]リスク・市民社会・公共性』東大出版会、2012年、を読了。

公共社会学1 リスク・市民社会・公共性

公共社会学1 リスク・市民社会・公共性

 ルーマン理論は社会の記述理論だとする評価に抗して、特に初期ルーマンの諸著作から、方法論としての機能分析、評価概念としてのシステム合理性、そして経験的研究と規範的研究の分断状況の克服という課題、の三点を明らかにすることによって、ルーマン社会学が規範論的な観点を含む公共社会学たりうることを主張しようとする論文。特に三つ目のポイントについては僕自身の関心と重なることもあって、大変興味深く読んだ。
 その上での疑問としては、まず、1)方法と理論との分離独立が「説明」ないし「記述」とは異なるという意味で「経験的」の範囲を超えていることは確かだとして、それは、どのような意味で「規範的」な要素を持っていると言えるのか?別の言い方をすれば、「問題」の提供は、それ自体「規範的」な作業なのか?というものがある。次に、「経験科学と規範科学の分断状況の克服という問題軸」についての叙述では、「規範科学」として法学と経済学が、「経験科学」として(社会的)システム理論が挙げられ、前者に対して後者が批判的/チェック的な役割を果たすといった議論がなされているが、この場合、システム理論はなぜ「経験的」の側にあると言えるのか?1)の理解が正しければ、ルーマン社会学は、「問題」の提供を行う点で通常の意味での「経験的」の範囲を超えている(もしかしたら「規範的」である)ことになるが、2)の理解では、それは「規範的」ではなく「経験的」なのであるとされている。「記述」「説明」ではなく「比較」としての経験性という独特な経験性だから、ということになるのだろうか。