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歴史政治学とデモクラシー

歴史政治学とデモクラシー

第1章「歴史の中の討議デモクラシー」をきちんと読んでみた。以下、あまりまとまりのない感想メモを。
 まず、70年代(ペイトマンとマクファーソン)と80年代(マンスブリッジとバーバー)の参加デモクラシー論の整理は参考になった。政治と経済(資本主義)との関係は、むしろ現在でこそ、(マクファーソンの再読とともに)あらためて議論されるべきかもしれない。
 それから、ハーバーマスとドライゼックとの異同。このあたりは、某Yさんが近著(秋かな?)で取り上げるはずの問題。篠原氏は、「deliberativeとdiscursiveを・・・討議デモクラシーの中の二つの潮流」と考えることを提案する(53頁)。
 それにしても、ハーバーマスとドライゼックとの違いは、たいへん微妙である。篠原氏は、自由主義立憲主義ないし法治主義へのスタンスの違い、一つの基準としているようである。また、合意形成志向か、「言説の競演」か、という点も重要なポイントだろう。もっとも、だからといって、ドライゼックも、もっぱら言説の対抗のみを称揚しているのではない。だから、deliberative democracyの一つの潮流なのだ、と言われればそれまでである。ただ、ドライゼックが、言説間の対抗とそれらの間の調停ないし「合意」形成の問題との関係にどのように折り合いをつけているのかは、きちんと点検してみないといけないような気がしてきた。
 なお、ヤングも、「批判的討議デモクラシー」の潮流に入れるという著者の評価には、僕も賛成である。
 最後に、著者が現代社会を「表象する、相対立する二つの現象」として、アゴニズムと「アナルゲシア(無痛社会)」とを挙げていることも、興味深かった。僕の場合は、かつて「脱社会化」(宮台真司)現象を念頭に置いて、熟議民主主義を論じたことがあるが、こうした、現代社会における人間の変容とデモクラシー論を結びつけることで、社会学的問題関心を政治が雨滴問題関心に接続することができるだろう、という思いを強くすることができた。