先生にはわからない一面

 妻は、演劇部の顧問をしています。部員の生徒さんたちは、一見、比較的おとなしそーに見えるタイプが多いらしいのですが、演劇部では安心しきって(?)、いろいろと口うるさく、いいたい放題、やりたい放題なのだそう。
 あらかじめ言っておくと、「安心」というのは、いろいろと家庭環境がフクザツな生徒さんが多く、そういった中で、妻は結構、厳しいけれども甘えることのできる「お母さん」的に思われているようだ、ということです。まあ、高校生に「お母さん」と思われるような年齢でもないのですが、親が20歳前後のころに生まれた生徒さんも多い中では、30代前半というのは、親世代とあんまり変わらないということなのでしょう。
 妻曰く、彼女たちはこれまでの人生で十分に自尊心が満たされてこなかったので、自他の距離感やバランスをうまく取れないのではないか、とのこと。だから、人にはやたらとキビしいのに、自分がちょっと言われるとすぐに傷ついてしまう。そして、傷つくのがイヤだから、部活でもきちんと練習に取り組む前に、「こんなことやっても意味ないし」とか、「用事あるから帰る」とか、「アタシは聞いていないし(怒)」とか、言ってしまうらしい。
 そんなわけで、教室などではやたらおとなしい部員たちが、妻にはやたらとあれこれ「主張」していたりするのを見て、同僚の先生たちは、「いつもはおとなしそうなあの子があんなにしゃべるのか!初めて見た」とビックリされるそうです。
 その生徒さんたちにとっては、妻のところが安らぐことのできる(だからわがままも言ってしまう)「ホーム」なのであって、それ以外の場所は、みな「ソト」なのでしょう。

 ところで、「あの子が」セリフには、僕にも思い当たるフシがあります。といっても、僕自身が「あの子」つまり生徒だったときの話です。
 高校時代の終わりのころに、部活(バスケット部)の追い出し会みたいなのがあったのです。そこで最後に、卒業生から後輩に一言、という企画がありました。その時に、僕は、割と熱心にしゃべったそうです(今思うと迷惑な先輩ですね)。何をしゃべったかは詳しく覚えていませんが、「最初はイヤな部だと思ったけど、続けてきて、大変思い出深い部となった。後輩の皆も、悔いのないように」みたいなことを一生懸命しゃべったのだと思います。
 それを聞いて、その場に居合わせた副顧問の先生が「あの子(僕)があんなにしゃべるのか!」と驚いたそうです。その場で直接ご本人に聞いたか、後で母親がその先生から聞いたのかは、忘れてしまいましたが。
 僕の高校は、原則中高一貫*1、副顧問の先生にとっては、高校から入った僕は、もともと存在感は相対的に薄かったとは思います。これはある程度一般的に当てはまることだったと思いますが*2。またその先生は、数学担当の先生で僕は授業でもお世話になっていましたが、高校での僕の数学の成績はヒドいものでw、テストはいつも50点前後でしたから、お世辞にも「デキのよい生徒」とはいえません。それに、副顧問の先生は、顧問の先生ほど頻繁に部活を覗かれていたわけではありませんでした(別に、悪い意味で言っているのではありません。念のため。先生はバスケットの専門家ではなかったと思いますし。)
 そういうわけで、その副顧問の先生が「あの子が!」と思ったとしても、ある意味では、当然とも思えるわけです。
 でも、そのことを聞いた時、僕はそういうふうに思われたことがひどく意外で、ちょっと驚いたのでした。確かに、僕はムードメーカーというほどの存在ではなく、いつも面白いことを言っているようなタイプでもありませんでしたが、それでも、日ごろから、わりと思ったことは発言しているつもりでしたし、後輩にもいろいろ話をしているつもりでしたから。それで、ちょっとがっかりしつつw、「自分が思っている自分の姿と、先生が思っている姿とは違うんだなあ」と思ったのでした。
 でも、先生と生徒の関係というのは、そういうものなのです、きっと。
 入学した時には「最悪」と感じた部活も今では「最善」の思い出の一つになっているので、卒業してから何度か母校の部活には顔を出したことがあります。足元の大学の部活には顔を出していないくせにw、今年の正月も、高校には久しぶりに行ってきました。顧問の先生は変わっていないので(これは私学の特権です)、何度かお顔を拝見していますし、僕が研究者になったこともご存知です。でも、副顧問だったそのI先生とは、卒業後、一度もお会いしていません。もう20年近く前のことですから、もしかしたら、もう退職されているかもしれません。数学が大の苦手の僕でしたが、I先生の授業での語り口はとても印象に残っていて*3、実は、今でも自分がしゃべる時に、先生の語り口を念頭に置いていたりします。今お会いしたら、「あの(デキのよくなかった)子が研究者に!?」と驚いてくれるでしょうか。

*1:といっても、僕のいたころは、高校から3分の1くらい入った。別に差別的意味合いはなく便宜上のことと思いますが「他中(出身)」と呼ばれていました。

*2:顧問の先生がどう思ったかはわかりませんが、しかし顧問の先生は確か僕たちの学年が中3になるときに新しく赴任された先生でしたので、中学から上がってきた同期たちと高校から入ってきた僕などとの違いがそれほどなかったかもしれません。

*3:数学もできるようになればよかったのですがorz。