8月以来、遅筆にもかかわらず、ほぼ毎月1本のペースで論文を書いています。といっても、遅くとも10月中には出さねばならなかった現在執筆中のものは、まだ書きあがっていないわけですが・・・。間に合うのでしょうか。いや、間に合わせねば。
 しかし、今期は、比較的授業担当が少なく、論文を書く時間的・精神的余裕があります。論文書かせたいんだったら、時間をちゃんと確保しないと。そして、大学には、ゆっくりとした時間の流れが必要なのだということを、もう少しアピールしないと。などと、思います。いや、本当に。
 でも、「改革」というと、やたら忙しくする方向でしか「改革」されないのが常ですから、困ったことです。
 僕など、「若いうち(といってももう30台半ばですが)から、こんなにバタバタと日々のことに追われていて将来に向けての能力の蓄積ができるのか」、とあせるというか、むなしいというか、アタマにくるというか。
 まあ、僕自身がそれほど忙しいのかどうかは、置いておきましょう。自分の時間管理がなっていない可能性も否定できませんし(というか、けっこうありそうだし)。
 ただ、一般的に言っても、若手の能力開発のためには、競争とか、人員配置の流動化じゃなくて、もっと時間が必要だと思うのです。玄田有史さんの『働く過剰』NTT出版、2005年を読み始めたところですが、最初の方に、ある調査結果を引いて、「30代ホワイトカラーの多くが、長時間働いていることの弊害として、職業能力の開発が困難となっている」(19頁)と述べられています。長時間労働が「個人生活に悪影響をおよぼすだけでなく、将来に備えた人材育成についても、きわめて深刻なマイナス要因となっている」(同上)というわけです。
 単純に考えても、人間の能力と時間には限りがあり、その限りある能力と時間を多くのことに振り分ければ分けるほど、一つのことにかけられる能力も時間も減少するのは当然のことです。プロ野球選手だって「プロ」というからには、オフシーズン以外は野球をすることがメインであることに疑いはないと思うのですが*1、こちらの業界ではどうもときどき疑わしくなってしまうような気がします。単純な話、研究以外のことに割く時間が増えれば、どんな優秀な人だって研究ができなくなるということです。
 「院生のころが一番研究ができた」という言い方が僕たちの業界ではしばしばなされます。しかし、考えてみれば、これは「プロよりアマチュアの方がよく練習している」というようなもので*2、こういう言い方があまりに一般的に通用してしまう業界というのもなんだかなあ、という気がします。
 とか、言っていないで、授業の準備しないと。

*1:「ワーク・ライフ(ファミリー)・バランス」が取れてなさそう、という点は問題ですが。

*2:もちろん、院生だって、「要請されつつある研究者」です。念のため。