読書:安藤丈将『脱原発の運動史』

 先日頂いた、安藤丈将『脱原発の運動史――チェルノブイリ、福島、そしてこれから』(岩波書店、2019年)を読んだ。タイトル・サブタイトルから、3.11以後の話かと思われるかもしれないが、そうではない。基本的には「『3.11以前』の脱原発運動」(ix頁)、特にチェルノブイリ原発事故以後の脱原発運動についての本である。
 本書は、その脱原発運動の克明な記述であるとともに、「民主主義」を補助線とすることで、ある種の政治理論的な著作にもなっている。その筆致は、きわめて明晰でありながら、どこかやさしい。安藤さんは「はじめに」において脱原発運動にかかわる女性たちの「強さ」と「やわらかさ」の両立について書いているが、安藤さん自身の文章も、強くそしてやわらかい。

脱原発の運動史: チェルノブイリ,福島,そしてこれから

脱原発の運動史: チェルノブイリ,福島,そしてこれから

30年前のこと

 少し前の記事で、今年はメモリアルな年で、名古屋に来て30年、博士学位を取得して20年(≒大学教員として働き始めて20年)ということを書いた。「名古屋に来て」の方を、もうちょっと書いておきたい。といっても、ただの雑感・振り返りだけど。
 1989年の年があけてすぐに元号が「昭和」から「平成」に変わった。僕は高校3年生。その一週間後が、最後の共通一次試験(翌年からセンター試験)だった。世間は「自粛」も含めてそれなりに慌ただしかったのだと思うが、僕は共通一次試験直前でもっと慌ただしいというか、きっとそれなりにピリピリしていたと思う。
 それなのに試験当日は、遅刻ギリギリというか、半ば遅刻した。「半ば」というのは、(僕の記憶が正しければ)解答開始には間に合っているが、最初の科目の開始前の集合時間(教室で席に座っているべき時間)には間に合わなかった、ということだ。結構なことをやらかしたはずなのだが、試験自体はよくできた。唯一できなかったのは「生物」だった。それも、受験直前に受けた某模試でかなり似た問題が出た恩恵をそれなりに被ったにもかかわらず、悪かった。しかし、受験生全体の出来が悪くて、理科の他の科目よりも20点以上(だったと思う)平均点が低く、そういう場合の措置としての(かなり異例の)「かさ上げ」が行われた。そのおかげで20点くらいアップして、ぼちぼちになった(それでも標準的に見ればギリギリくらいだったが)。そのこともあって、結果的に共通一次の得点は、模試でもとったことのない最高得点になった。「本番に強いタイプかも?」と思ったのだが、残念ながら二次試験にはその神通力(?)は届かず、第一志望の大学は不合格だった(まあこれも、ある意味予想できたことだったのだけど)。試験が終わった瞬間に「ああ、これはダメだな」と思った。その後に、憧れの渋谷に行き、いくつか服を買えたことだけはよかった。
 そんなわけで名古屋に来たのだが、なんだかんだで来るのが遅くなり、下宿探しは少し苦労した。その中で不動産屋に最初に紹介された物件は、今でも強く印象に残っている。そこに行くには長い階段を下りていくしかなく(逆方向からだと普通の道路で行けたのかもしれないけれど)、降りて行った先に切り立った壁に接する形で、かなり古い(確か)平屋木造の家があった。間取り自体はそれなりにゆとりがあり、トイレ・風呂も付いていたはずだ。でも、明らかに建物は古く、アクセスは(上記のように)不便かつ大学からも少し遠く、さらにちょうど雨が降っていたこともあって、なんとなく気分が沈みがちな感じがした。結局、そこではなく別の物件に決めた。まあそちらも決して立派とまでは言えなかったのだけど・・・。
 というわけで、最初に見た物件は、決してよい印象だったわけではない。でも、だからこそと言うべきか、印象に残っている。きっと、「これから名古屋で一人暮らしをするのだ」という、少し緊張しつつ寂しい気持ちと、物件の様子・天候がシンクロしたのだろう。
 先日、その物件があったはずのあたりを訪ねてみた。町の名前を憶えているつもりで行ってみたのだけど、結局わからなかった。その家自体は当時でもすっかり古かったので、取り壊されているかもしれない。でも、階段は見つかるかなと思ったのだけど、わからなかった。もうちょっと歩いてみればわかったのか、それとも記憶間違いをしていたのか、どちらなのかはわからない。でも、名古屋での生活の最初の最初だった。
 あれから30年が経ち、まだ名古屋にいるとは思わなかった。
 
 

頂きもの

1)著者の皆様からということで、大賀哲・仁平典宏・山本圭編著『共生社会の再構築II デモクラシーと境界線の再定位』法律文化社、2019年、を頂いておりました。どうもありがとうございます。

共生社会の再構築II デモクラシーと境界線の再定位

共生社会の再構築II デモクラシーと境界線の再定位

2)安藤丈将さんからは、『脱原発の運動史――チェルノブイリ、福島、そしてこれから』岩波書店、2019年、を頂きました。どうもありがとうございます。「民主主義」を補助線としながら脱原発運動を読み解く試みです。

脱原発の運動史: チェルノブイリ,福島,そしてこれから

脱原発の運動史: チェルノブイリ,福島,そしてこれから

頂きもの

1)富永京子さんから、『みんなの「わがまま」入門』(左右社、2019年)を頂きました。どうもありがとうございます。社会運動=「わがまま」とする卓越した表現力で、主には中学・高校生を念頭に置きながら、「わがまま」=社会運動の意義と実践の仕方について解説する本です。早速拝読しましたが、現代社会論としても読めると思います。

みんなの「わがまま」入門

みんなの「わがまま」入門

2)井口暁さんから、『ポスト3.11のリスク社会学――原発事故と放射線リスクはどのように語られたのか』(ナカニシヤ出版、2019年)を頂きました。どうもありがとうございます。主にニクラス・ルーマンに依拠しながら、原発事故をめぐる論争を分析しようとするものです。
ポスト3・11のリスク社会学: 原発事故と放射線リスクはどのように語られたのか

ポスト3・11のリスク社会学: 原発事故と放射線リスクはどのように語られたのか

The Oxford Handbook of Deliberative Democracyの刊行

 このたび、Andre Baechtiger, John S. Dryzek, Jane Mansbridge, and Mark E. Warren (eds.) The Oxford Handbook of Deliberative Democracy, Oxford University Press, 2018, が刊行されました。私は、Beibei TangとBaogang Heと共著で、'Deliberative Democracy in East Asia: Japan and China' の章を執筆・寄稿しました。

The Oxford Handbook of Deliberative Democracy (Oxford Handbooks)

The Oxford Handbook of Deliberative Democracy (Oxford Handbooks)

  • 作者: Andre Bachtiger,John S. Dryzek,Jane Mansbridge,Mark E. Warren
  • 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr
  • 発売日: 2018/11/06
  • メディア: ハードカバー
  • この商品を含むブログを見る
 執筆については、いろいろ反省もあります。共著の仕上げは難航しましたし、「日本担当」でしか書けなかったとも言えます。しかし、とにもかくにもこのハンドブックに著者として参加できたことで、世界の熟議民主主義研究者コミュニティに、たとえ片隅であっても位置を占めることができたのではないかと思います。 2009年~2011年にオーストラリア国立大学で在外研究で滞在した時に、「いつかは、この研究者コミュニティの中に入ることができれば」と思っていました。その願いは、少しだけ適ったような気がします。もちろん、まだまだ課題はあるのですが、今は素直に喜びたいと思います。

畑山敏夫先生

 この3月で畑山敏夫先生が佐賀大学を定年退職された。フランス政治、とりわけフランスの緑の党や「国民戦線」の研究を長く行われてきた先生である。こんなところにこんなことを書かれても、先生はさぞかし迷惑に思われるかもしれないけれど、ひとことふたことだけ述べさせていただきたい。
 私が畑山先生に最も直接的にお世話になったのは、畑山先生と丸山仁さん編集の『現代政治のパースペクティブ――欧州の経験から学ぶ』(法律文化社、2004年)の執筆者に混ぜてもらったことである。と言っても、私に直接に声をかけてくださったのは、大学院の(それなりに上の)先輩にあたる丸山さんであった。とはいえ、編集会議では、畑山先生のとてもソフトな進行に随分ほっとさせていただいたことを、昨日のことのように覚えている。
 『現代政治のパースペクティブ』は、私が初めて執筆に誘っていただいた本だった(同時期に共編で『ポジティブ・アクションの可能性』ナカニシヤ出版、2004年、という本を出したが、こちらは自分(たち)での企画)。そういう意味で、とても光栄に思った企画だった。同書に寄稿した拙稿「民主主義の新しい可能性――熟議民主主義の多元的深化に向かって」は、丸山さんから「現実を意識した文章を」と言われて、私なりにそういう意識で書いたものだったが、思っていた以上には読んでいただいたような印象がある。「あの本で読みました」みたいなことを言われたことが何度かあった。その後、この文章は、加筆修正のうえで、拙著『熟議の理由』(勁草書房、2008年)の第5章となった。こういう事情で、畑山先生の下でできた『現代政治のパースペクティブ』は忘れがたい本となっている。
 畑山先生とは、また別のご縁(?)もある。私は、その頃あるいは学部・院生時代は、今よりもずっとヨーロッパ政治に関心があるつもりだった。また、ドイツ史研究者である母の影響もあり、私は故・山口定先生の書かれたものには親しんでいた。畑山先生は、その山口先生の弟子筋(「山口組」!)にあたり、また、(これは全くの偶然だが)母が同僚になったこともあって、勝手に何となく親しみを感じさせていただいていたところがある。学会等でお会いすると、いつも独特の(?)柔らかい口調で話しかけてくださることを、ありがたく思っている。
 そんな畑山先生が大学を退職されたことに、多少の寂しさを感じるところがないわけではない。でも、きっとこれで研究をやめたとおっしゃるわけではないだろうから、また学会などでお会いできることと思っている。それでもひとまず、長年お疲れさまでした。
 

現代政治のパースペクティブ―欧州の経験に学ぶ

現代政治のパースペクティブ―欧州の経験に学ぶ

現代フランスの新しい右翼―ルペンの見果てぬ夢

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フランス緑の党とニュー・ポリティクス――近代社会を超えて緑の社会へ

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フランス極右の新展開―ナショナル・ポピュリズムと新右翼 (国際社会学叢書 ヨーロッパ編)

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