30年前のこと

 少し前の記事で、今年はメモリアルな年で、名古屋に来て30年、博士学位を取得して20年(≒大学教員として働き始めて20年)ということを書いた。「名古屋に来て」の方を、もうちょっと書いておきたい。といっても、ただの雑感・振り返りだけど。
 1989年の年があけてすぐに元号が「昭和」から「平成」に変わった。僕は高校3年生。その一週間後が、最後の共通一次試験(翌年からセンター試験)だった。世間は「自粛」も含めてそれなりに慌ただしかったのだと思うが、僕は共通一次試験直前でもっと慌ただしいというか、きっとそれなりにピリピリしていたと思う。
 それなのに試験当日は、遅刻ギリギリというか、半ば遅刻した。「半ば」というのは、(僕の記憶が正しければ)解答開始には間に合っているが、最初の科目の開始前の集合時間(教室で席に座っているべき時間)には間に合わなかった、ということだ。結構なことをやらかしたはずなのだが、試験自体はよくできた。唯一できなかったのは「生物」だった。それも、受験直前に受けた某模試でかなり似た問題が出た恩恵をそれなりに被ったにもかかわらず、悪かった。しかし、受験生全体の出来が悪くて、理科の他の科目よりも20点以上(だったと思う)平均点が低く、そういう場合の措置としての(かなり異例の)「かさ上げ」が行われた。そのおかげで20点くらいアップして、ぼちぼちになった(それでも標準的に見ればギリギリくらいだったが)。そのこともあって、結果的に共通一次の得点は、模試でもとったことのない最高得点になった。「本番に強いタイプかも?」と思ったのだが、残念ながら二次試験にはその神通力(?)は届かず、第一志望の大学は不合格だった(まあこれも、ある意味予想できたことだったのだけど)。試験が終わった瞬間に「ああ、これはダメだな」と思った。その後に、憧れの渋谷に行き、いくつか服を買えたことだけはよかった。
 そんなわけで名古屋に来たのだが、なんだかんだで来るのが遅くなり、下宿探しは少し苦労した。その中で不動産屋に最初に紹介された物件は、今でも強く印象に残っている。そこに行くには長い階段を下りていくしかなく(逆方向からだと普通の道路で行けたのかもしれないけれど)、降りて行った先に切り立った壁に接する形で、かなり古い(確か)平屋木造の家があった。間取り自体はそれなりにゆとりがあり、トイレ・風呂も付いていたはずだ。でも、明らかに建物は古く、アクセスは(上記のように)不便かつ大学からも少し遠く、さらにちょうど雨が降っていたこともあって、なんとなく気分が沈みがちな感じがした。結局、そこではなく別の物件に決めた。まあそちらも決して立派とまでは言えなかったのだけど・・・。
 というわけで、最初に見た物件は、決してよい印象だったわけではない。でも、だからこそと言うべきか、印象に残っている。きっと、「これから名古屋で一人暮らしをするのだ」という、少し緊張しつつ寂しい気持ちと、物件の様子・天候がシンクロしたのだろう。
 先日、その物件があったはずのあたりを訪ねてみた。町の名前を憶えているつもりで行ってみたのだけど、結局わからなかった。その家自体は当時でもすっかり古かったので、取り壊されているかもしれない。でも、階段は見つかるかなと思ったのだけど、わからなかった。もうちょっと歩いてみればわかったのか、それとも記憶間違いをしていたのか、どちらなのかはわからない。でも、名古屋での生活の最初の最初だった。
 あれから30年が経ち、まだ名古屋にいるとは思わなかった。