こちらでの告知が遅れてしまいましたが、2018年2月に、拙稿「グローバル・ガバナンスと民主主義――方法論的国家主義を超えて」が掲載の、グローバル・ガバナンス学会編、大矢根聡・菅英輝・松井康浩責任編集『グローバル・ガバナンス学1――理論・歴史・規範』(法律文化社、2018年)が刊行されています。
グローバル・ガバナンス学I 理論・歴史・規範 (グローバル・ガバナンス学叢書)
- 作者: 大矢根聡,菅英輝,松井康浩,古城佳子,初瀬龍平,田村哲樹,山口育人,鄭敬娥,三牧聖子,鈴木一敏,東野篤子,都留康子,栗栖薫子,グローバル・ガバナンス学会
- 出版社/メーカー: 法律文化社
- 発売日: 2018/02/21
- メディア: 単行本
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拙稿は、タイトルの通り、私にとって初めての「グローバル・デモクラシー」論です。多くの民主主義理論研究者がグローバル/トランスナショナルの次元を論じるようになっているのは(もちろん)知っていましたが、自分の場合は、なかなか手が出せずにいました。自分にとってのとっかかりを見つけられなかった、ということになるでしょうか。
ところが、その「とっかかり」を、思いがけず見つけることができました。私はこれまで、家族もそれ自体として「政治」「民主主義」の場として捉える、という議論を行ってきました。その中で、数年前に「『民主的家族』の探究――方法論的ナショナリズムのもう一つの超え方」『法政論集』(名古屋大学)第262号、2015年6月、15-37頁、という論文を書きました。この論文は、サブタイトル通り、社会科学における「方法論的ナショナリズム」を見直すには、トランスナショナルな方向で考えるだけでなく、ミクロな方向で「家族」などの私的領域もまた、国家と同じ意味での民主主義の場である、という論じ方もできるのではないか、と問題提起するものです(直接の狙いは、社会科学で論じられてきた「民主的家族」における「民主的」が正しく「民主的」の意味で用いられているかを精査する、というものですが)。この論文を見てくださったある方から、「だからあなたの議論は、『トランスナショナル』を論じることにも役立つのではないか」といった示唆を頂いたのです。私自身は、自分で「方法論的ナショナリズムのもう一つの超え方」と題しておきながら、元々の(?)「超え方」、つまりグローバル/トランスナショナルとの関係は、正直言ってほとんど意識していませんでした。最初に書いたように、「とっかかり」がなかったからです。しかし、この示唆を得て、「そうか!」と思うことができるようになりました。つまり、「とっかかり」を得たのです。
今回の論文執筆の直接のきっかけは、別のところ(有斐閣の新川・大西・大矢根・田村『政治学』)で一緒にお仕事させていただいた大矢根聡先生からご依頼を頂いたことです。依頼を頂くことは大変光栄ですが、少し前だったら「とても無理です」となっていたかもしれません。しかし、上記の示唆を得ていたことで、お引き受けすることができました。私の中に「とっかかり」ができ、イメージが生まれていたのです。と言っても、実際の執筆には少し(かなり?)苦労しましたが・・・。
というわけで、この論文は、私にとっては少々感慨深いものとなりました。もちろん、何しろ初めてのテーマなので、いつも以上に不十分な点があることは承知していますけれど・・・。