松木 2013

松木洋人『子育て支援社会学』新泉社、2013年、を読了。実際の「子育て支援」の実践が、単純に「育児の社会化」として行われているのではなく、「子育て私事論」を内包しながら行われていること――「規範的論理の二重化状況」(223頁)−−を明らかにしている。

子育て支援の社会学―社会化のジレンマと家族の変容

子育て支援の社会学―社会化のジレンマと家族の変容

以下、少しメモ。著者は「言説のポリティクス」に関して以下のように述べている。

「……支援が実践される場において〔規範的論理の二重化状況ゆえに〕家族主義が作動しつづけている以上、家族主義を包摂しうるようかたちで、すなわち、実践的な「育児の再家族化」をも織り込むようなかたちで子育て支援施策を展開することこそが、日本社会において育児を脱家族化するための戦略として有効なのではないだろうか。
 言い換えれば、ただ家族の育児責任を外部化すべきことだけを主張する言説は、子育て支援をめぐる言説のポリティクスのなかで、家族主義的な論理、とりわけ、支援が実践される場において作動する家族主義に対してはしばしば有効なクレイムたりえていないように思われる。」(232頁)

 ここで述べられていることは、おそらく私が、拙稿「労働/ケアの再編と『政治』の位置」仁平・山下編『ケア・協働・アンペイドワーク』大月書店、2011年、において行った、「社会的投資」「ケアの再配分」「ケアの絆」の各言説の「政治的実現可能性」の観点からの分析とかなり共通しているように思う。

労働再審〈5〉ケア・協働・アンペイドワーク―揺らぐ労働の輪郭

労働再審〈5〉ケア・協働・アンペイドワーク―揺らぐ労働の輪郭

 もう一つ、ケアの社会的配分と「家族」概念の問い直しとに関する議論(230-231、234)について、著者の立場とそこで言及されている久保田さんとの違いは、やはり私には(「やはり」というのは以前に別のところで少し述べたからだが)、「『家族』という概念の意味は人々によるその用法のなかにある」(234頁)と考えるか(著者)、それとも、分析のための概念・道具を用いて研究者が(たとえばより分節化して)把握することができると考えるか(久保田)、という違いのように思える。