日常と非日常

社会学者の久保田裕之さんのブログエントリより。久保田さんは、『他人と暮らす若者たち』の著者で、シェアハウジングを研究されています。下記のエントリは、その本への書評ブログへのリプライ的なもの。
http://www.synoikismos.net/blog/2010/09/re01.html
「日常の共有」と「非日常の共有」についての久保田さんの見解は、僕自身の民主主義に対するイメージとちょっと似ているかもしれないと思いました。僕も、民主主義を、特別な瞬間とか特別な場所でのみ起こるものではなく、日常生活の中で(繰り返しですが)日常的に求められるものであって、その理由は、端的に民主主義がないと人と人の間の関係がうまくいかないから(うまく紛争を調停できないから)・・・というようなイメージでとらえているフシがあります。
ちょっと漠然とした言いかたすぎて申し訳ないですし、ご本人は特には同意されないかもしれませんが、暫定的メモということでお許しを。

他人と暮らす若者たち (集英社新書)

他人と暮らす若者たち (集英社新書)