あとちょっと

早いもので、子どもたちとソロ・ファーザー生活を始めてから、まもなく半年が経とうとしています。そして、もうちょっとしたら、子どもたちは帰国です。
彼らが来る前は、正直、「果たして大丈夫だろうか。生活も研究もやっていけるだろうか。自分一人だけでも大変なのに…」などと思っていました。でも、いざその期間が終わるとなると、今度は寂しい気持ちになります。


なんと勝手な親だろうかと思いますが、でも、そうなのです。


子どもたちは今通っているIEC(Introductory English Centre)にもかなり慣れて、「学校行くのはイヤ」とは一言も言わなくなりました。長男は、ちょっと前に、「英語で話す方が、いろいろ考えないといけないから面白い」みたいなことも言っていました。ちょっとできるようになって自信がついたからなのでしょうけれども、でも、「おお、そんなことを言うようになったか」と感慨深かったです。
そして、彼らなりに、日本の学校はどこか窮屈であると感じているようです。う〜ん、でもまあ、そうだろうなと思います。僕自身は、高校入学後しばらくしてから(←これが重要)、「自由」とはどういうことか自分なりにわかったような気がしました。それは、中学校との対比でわかったのだと思います。我が家の子どもたちは、小学校時代に、日豪の対比で、何かしら「自由」の意味を感じることがあったでしょうか。そうだとすれば、それは貴重な経験になるはずと思います。そして、わずか半年という期間をちょっと惜しいなとも思います。


でも、あの子たちが大きくなって、外国に行きたいと言ったら、快く送り出してあげたいと思います。そう言うのかどうかは・・・どうでしょうね、日本に戻ったら、すっかり忘れてしまうかもしれませんが。。。


一人で暮らすことには、メリットもデメリットもあると思います。メリットはもちろん時間を自由に使えることです。他の人のことを気にしないですむことです。研究者ならば、(身体と心を壊さなければ)間違いなく、研究も進むでしょう。実際、僕も去年の12月はよくやったと思います。
ただ、デメリットは、生活がすさみがちになることです。ご飯はどんどん適当になります。毎日同じようなものでもいいやという気になります。今は、ご飯を炊いていますが、一人になったらパンだけになりそうな気もします。わざわざアジア食材店に行って、豆腐や油揚げ、冷凍の里芋や餃子などを買うことも、なくなりそうな気がします。ないならないで、一人だったら、まあいいか、と思うと思うからです。家にいても、また、極力カーテンを閉めるようになる気がします。なんとなく不安なので。


いつの間にか、(英語の不自由さも含めて)今のこの生活が「日常生活」であるように感じている自分がいます。でも、本当は、これは決して「日常」ではなく、長い人生の中のほんの一瞬の「非日常」なのでした。そう、非日常は長くは続かないからこそ、非日常なのです。
その「非日常」を大切にして、残りの時間を過ごしたいと思います。