ファインマン2004=2009

マーサ・ファインマン『ケアの絆』岩波書店、2009年、を読書中。

ケアの絆―自律神話を超えて

ケアの絆―自律神話を超えて

まだ途中なのだけど、大変読みやすくて刺激的で面白い本(前著よりもそうなのでは、という気がするけど、これはあっているかどうか)。で、だいたい納得なのに、ギリギリのところで違和感が出てくる感じがある。
 それが何に基づくのかは考えないといけないのだけど、結局、「男性のケア」の可能性には見切りをつけたうえで、ケアのサポートの仕組みを考えよう、と言っているように見えるところに起因するのではないかなと、思っているところ。つまり、ケアをどう再配分するかを考えるのはやめて、実際にケアを担っている人が苦しくないようにしようよ、という話だと思うのだけど、理解が間違っているだろうか。
 この理解が正しいとして、それに違和感を感じる自分がいるわけだけど、しかし、考えてみると、BI論における「労働」の扱いも同じようなものかもしれないという気もしてしまうので、難しいところ。
【追記】
 しかし、BIの場合は労働の「相対化」(つまり、労働をしている人もそうでない人も同じではないか、という形で)を目指すのに対して、ファインマンの場合は「ケアを相対化」しようとしているのではなくて、ケアを実質的に担っている特定の人々の保障を目指しているわけだ。その意味でケアの名誉回復を目指す、ただし、特定の人が担ったままで、ということか。で、これを「ジェンダー平等論の限界を乗り越えるもの」みたいな感じで言われると、やっぱりひっかかるんだなあ・・・。