読書

岩田正美『社会的排除有斐閣、2008年。
前にも、最初の方と終わりの方だけ読んでいたのだが、あらためてきちんと読んでみた。

社会的排除―参加の欠如・不確かな帰属 (有斐閣Insight)

社会的排除―参加の欠如・不確かな帰属 (有斐閣Insight)

大変、興味深く、また、勉強になった。
社会的排除/包摂」というのは、とても漠然とした概念なのだが、著者は、現代社会の状況を踏まえながら、かつ、自己のホームレスの人々への調査も踏まえながら、明確なイメージを与えることに成功していると思う。
 現代社会では、私たちは、なじみの人とのものも見知らぬ人とのものも含めた「複雑な関係の網の目」の中で生きている。そうすると、「社会的包摂」とは、この複雑な関係の網の目の中から必要なものを判断してそこに入っていけること、および、その関係を変更していくことができること、と捉えられる。逆に、「社会的排除」とは、そうした複雑な網の目が(当事者に)意識されず、また、実際にそれらの中から必要な関係を選び取ることができず、もし関係があるとすれば、かろうじて特定の関係のみに「中途半端に」つながっている、という状態のことである。
 こうした社会的包摂/排除の理解から、ホームレスの人々はどのように見えてくるのか。それは、いわば「中途半端に就労を通じてのみ社会とつながってきた/いる」人々、というものである。ホームレスの人々の多くは、あらゆる社会関係から「引きはがされ」ており、残っている関係は、不安定な就労という関係だけなのである。言い換えれば、彼らに残されている社会関係は就労しかなく、かつ、その就労は日雇い等の非常に不安定な(かつ労働条件はどんどん悪化していく)ものなのである。
 こうしたことから、著者は、社会的包摂のためには、「住居・住所の保障(そのための住宅手当)」と「市民としての権利義務の回復」が重要と主張する。このうち、前者については、さらに資産保障型の政策の支持へと進んでいく。僕の言葉でいえば、これはまさに、「がんばるためには『足場』が必要」ということであり、その「足場」として、住居・住所の保障なり資産形成なりが唱えられているわけである。
 後者の「市民としての権利義務の回復」については、「選挙に行くとかさまざまな社会団体に帰属することを通して、あるいは制度の利用資格を確認することによって、排除されている人々の意思の表示機会の回復をも含んでいなければならない」(175頁)ということ以外には、あまり多くは書かれていない。だが、これも重要な指摘である。つまり、福祉国家の今後の問題は、単に社会保障の問題としてだけでなく、それを生み出し支える(広い意味での)「政治」の実現問題とも関連付けて、これも僕の言葉で言うと「社会保障と民主主義」の問題として、あらためて考えていくべきなのである。