いろいろと拾い読みで定まらぬ読書を。
今「何をなすべきか」が定まっていないように見えますねえ。いや、「見える」じゃなくて実際そうなのか。
・岡野八代「家族の時間・家族の言葉:政治学から/政治学への接近の可能性」『現代思想』第37巻第2号、2009年。
現代思想2009年2月号 特集=ケアの未来 介護・労働・市場
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- 作者: 上野千鶴子
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家父長制と資本制という二つの社会領域のの相互連関を見落とし、一方だけに焦点を当てても「解放の理論」にはなり得ない。しかし、他方で、相互連関には、どのようにしたらそのものとして焦点を当てることができるのか。文字通りの意味で、相互連関そのものに焦点を当てるのだとすれば、それは社会を全体として転換するほかない、という結論に接近するだろう。しかし、それはそれでなかなか実行可能性が低いと見なされがちである。恐らく著者は、「『労働』の意味のつくり変え」(288頁)に焦点を当てるべきと考えるのだろう(他の文章でもそのように述べていたと思う)。では、そのためには、どうすればよいのか。一つの選択肢は、「社会的有用性」あるいは「使用価値」で「労働」定義を考え直すことであろう(これは著者が批判する加納氏の主張でもある)。そのことを通じて、現在の意味での「有償労働」の社会的価値低減を目指すわけである。それ以外のどのような議論が可能か、ということがきになる。
・江原由美子『フェミニズムと権力作用』勁草書房、1988年。
- 作者: 江原由美子
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うまくいえないのだが、この文章からは、加納氏の「総撤退」論に半ば共感しつつ、しかし、素直に共感していてはダメだと言うべきだという、江原氏のスタンスが感じられる。というのも、(これは誤解かもしれないが)その後の江原氏は、もうちょっとケア労働の持つ可能性に焦点を当てるようになっていくように思うからだ。というか、「普遍的ケア提供者モデル」(フレイザー)の方向で議論をしているように見えるからだ(たとえば、「ジェンダー不平等を克服する」(高木郁朗・生活経済政策研究所編『良い社会を創る』御茶の水書房、2003年)など参照)。
恐らく、ケア(無償労働)自体は評価したいという観点と、しかし、それが「女性のもの」と見なされることへの危惧とが、同居しているためであろう。そこを突破していくためには、やはり「普遍化」しかないような気がするのだが、どうだろう。
・西田亮介「〈社会〉における創造を考える:問題発見・解決の思考と実践」東浩紀・北田暁大編『思想地図』vol. 2、2008年。
NHKブックス別巻 思想地図 vol.2 特集・ジェネレーション
- 作者: 東浩紀,北田暁大
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その制度論がらみの話しで言うと、制度というのは、どこまで厳密に設計しても必ず多様な解釈を許容するものだが、それを「やむをえない」現象としてみるのではなく、そのような多様な解釈が生じるところに、制度編『のダイナミズムを積極的に見て取ることが重要、というタイプの議論と親和的であるように思う。
ところで、主体の意識の問題と社会の問題とは、「徹底的に区別して議論する必要がある」(372頁)と著者は述べるけれども、前者を「実存」の相で捉えるならばそうかもしれないが、ただ、著者の議論は明らかにある制度の作動における「主体」の能力(=創造力)を重視しているわけだから、そういう意味では、「主体」と「社会」とは区別できない、という主張のはずだろうとは思う。
・ローレンス・レッシグ(山形浩生訳)『CODE VERSION 2.0』翔泳社、2007年。
- 作者: ローレンス・レッシグ,Lawrence Lessig,山形浩生
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ところで、また見つからない本がある。さて、どこに???