もうすぐ

 最近、子どもネタが少なかったですが、別に子どもとの関係が不良になっていたわけではありません(念のため)。
 時間の経つのは遅いようで早いもので、我が家の長男も今春保育園を卒園します。
 今日、保育園に送っていったら、長男が2歳の時にクラス担任だった先生(今は別の場所に)から、当時の写真が届いていて、しばし眺めていました。
 子どもの顔は毎日見ているから、全然変わっていないように思いがちですが、でも、久しぶりの写真を見ると、なんというか、思いがけないほどの小ささにびっくりします。「あんなに小さかったんだなあ」と、思うと、いろいろと喜怒哀楽に満ちた出来事(多くは「哀」かなあ)が思い出されてきて、ちょっとしみじみとした気分に。
 経験的には、保育園の記憶って、小中高大あたりでは、ほとんど振り返られることがなく、もう少し大人になってから、とりわけ自分が子どもを育てるようになってから、いろいろと遡及的に思い起こされるようなものであるように思います。僕自身の記憶の主なものは、①年中の時に年長の子たちとケンカした、②給食のうどんとラムネみたいなお菓子が嫌いだった*1、③飛び箱を飛ぼうとしたときに崩れて「トラウマ」になった(半分くらいはそのせいで、跳び箱は大の苦手です)、④夕方のテレビで、自分の見たい番組を見たい人は少数派でめったに見れなかった、⑤お迎えが遅くて「最後の一人」になっていた*2、⑥保育園近くのお城で、落ち葉、鳥の羽、どんぐりなど拾った、⑦卒園文集で、「将来なりたいもの」が思い浮かばず、「なんでもはかせ」と書いた(ある意味、実現したわけですが)、⑧クルマもないのに、不便な山の上に住んでいて、かつ保育園は遠くにあり*3、さらには耳鼻科の病院にも結構通いつめたので、親は送り迎えに大変だったろうなあということ(これは、当時じゃなくて、今、思うことですね)。
 我が息子たちは、どういう記憶を振り返るようになるのでしょうね。

*1:小学校でも、給食のうどんは嫌いでしたねえ。

*2:と、子どもは思っているが、親いわく、いつも最後だったわけではなかったらしい。記憶は作られる。

*3:歩いて「下山」し、バスを乗り換えねばならなかった。