人的資本と権利保障

  id:dojin:20050925さんがシティズンシップについて興味深いことを書いています。稲葉さんの本の評価自体には、僕は未読なので、触れません。が、dojinさんの書かれている「人的資本」とシティズンシップとの関係は、僕の直近の関心ごとというか悩みの種でもあるわけでして。
 僕の悩みの種というのは、こういうことです。
 つまり、とても乱暴に二分法を立ててしまうと、「人的資本」をうまく活用できるようにする(場合によってはかなり大規模な条件整備をやる)ことが権利の保障ということになるのか、それともそういうことは余計なお世話だから「ほっておく」ことが権利の保障になるのか、ということです。
 前者をやると、うまくいけば各人の能力をより開花させたり、選択の幅を広げたりすることができるかもしれません。しかし、それが選別と排除の機制と化すことも十分に考えられます。
 それでは、その排除の危険性を踏まえた上で、例えば、立岩真也さんが――シティズンシップという言い方はしていませんが――言うように、「何かができること」をシティズンシップの要件と見なすのはやめて、その人がただ「ある」「いる」だけで認めるべきだ、ということにすればよいでしょうか。
 僕は、確かに「それでいいじゃん」と思うところが結構あります。でも、他方で、「でもなあ」と思うところもあるのです。それをうまく表現することができないのです。
 さて、どうしたものか。。。

 なんだかひどく中途半端ですが、ひとまずここまでということで。

[本]お買い物
 しかし、我ながら、全く毛色の違う本を買ってますねえ(苦笑)。

↑最新の政治経済学の勉強になるのかな、と。
涜神

涜神

↑タイトルが読めなかった。。。