うちあわせ

のために、東京は池袋の某大学に行ってきました。6月に我が大学を会場にして開催されるとある学会のとある分科会の打合せです。だいたい、名古屋を出るのが遅かった上に、品川で降りて山手線渋谷→新宿経由というミス・ルートで行ってしまったため、かなり遅刻してしまったのでした(皆様申し訳ありませんでした)。東京駅から、京浜東北→山手線あるいは地下鉄丸の内線で直接というのが池袋への正しいルートらしいのですが(実際、帰りは丸の内線に乗った)、でも東京駅で丸の内線乗るのも結構大変ですからねえ。それにしても、山手線の六扉シート跳ね上げ式車両は、田舎者には結構インパクトあります。なんか車内が殺伐としているけど、これだとラッシュ時でも降りやすそうだなあ、などとぼんやり思いつつ、比較的すいている山手線に30分くらい乗っていたのでした。
 本題に戻すと、遅れていったのに、打合せでは偉そうな発言を行ってしまい、反省。最近、内実の伴わない度胸だけはついてしまって、ことのほか発言の仕方が偉そうになっているような気がしています。もうちょっと気をつけないと。でも、皆様には(多分)温かく迎えていただきました。
 肝心の分科会は、熟議民主主義(deliberative democrcy)の具体的展開について考えるというもので、世界各地で見られるようになってきているフォーラム的な場を、どのような意味で熟議民主主義の場としてとらえることができるのか、というようなことが重要なポイントとなるような気がしております。「コメンテイタが重要なので」みたいなことを言われて、ちょっとプレッシャーかかっております。
 その後、少しお酒を飲みながら懇談会。とある先生から、「ゼミで集まってもらうと、『どうしてせっかく大学に入ったのに本を読まなくちゃいけないんですか!?』」と「抗議」(?)する学生がいた、という話しを聞いて、「ポストモダンだなあ」(この意味にあまりこだわらないように)などと思っておりました。さすがにここまで根本的な(?)問いを発する学生は、我が大学にはいない・・・・・・と思いたいところですが、どうなんでしょうか?