まだまだ終わらないこと

 他の大学では、もう試験の採点や各種論文の審査など、一段落つきはじめるころのようですが、僕の場合はまだまだ今週がピーク。自分で遅らせてしまっている部分がないわけではないので、言い訳できませんが。
 そんな中、『岩波応用倫理学講義5 性/愛』(岩波書店、2004年)を斜め読み。「超」印象論を若干。金井淑子論文や内田樹論文から、「セックス・ワーク」はやはり大きな論点なのだなあ、という印象。内田論文のロジックはなかなか鋭いと思ったが、どうなんでしょう。細谷実論文での「個人的なこと」と「政治的な関係」とについての記述は、少し自分の考えていることと引っかかるところがあり、興味深かった。フェミニズムは、「政治」について、「権力」でも、いわゆる「公的意思決定」(とそのプロセス)でもない、別の捉え方をしたほうがいいんじゃないか、ということを、松本伊瑳子・金井篤子編『ジェンダーを科学する』(ナカニシヤ出版、2004年)に収められている僕の文章「政治学ジェンダー」で少し書いています。昨秋の日本政治学会でその点をさらに展開したペーパー「フェミニズムは公/私区分を必要とするのか?」を発表。これは少しだけ(本当に少しだけ!)リライトして、5月ごろに某雑誌に掲載されます。でもこの雑誌、一般にはほとんど出回っていないのです。図書館にさえ、ほとんどないという・・・。
 この本についての研究会が3月に東京であるのですが、ケア活動のため、行けません。残念ですが、僕ばっかりあちこち出かけていくのはフェアではないですからね。
 ところで、ジェンダーフェミニズム関係で春から夏にかけて書かなければならない(ことになっている)原稿が少なくとも3本もあります。自分的にはかなりいっぱいいっぱいのノルマ。厳しいなあ。