岡野2012

下に書いた、岡野八代さんの『フェミニズム政治学』(みすず書房、2012年)、リベラリズムとの対決姿勢がかなり明確に出ている本で、その意味で、確かにこの10年くらいの岡野さんの思索の到達点なのかと思わされます。
例えば、以下のような箇所が重要だと思いました。

消極的自由論は、バーリンが高く評価するように、諸個人間で異なる多元的な善を許容するような社会、権力によって善が画一化されることのないような社会を構想するために不可欠なものとされた。しかし逆に、そのような社会で生きる一個人は、主体として、統一された善を、しかも、たった一つの善を構想する者とみなされてしまうのである。…(中略/改行)…ここには、第一章で責任をめぐって確認したディレンマと同じディレンマが存在する。すなわち、リベラルな課題に応えようとして、異質な・多様な他者を受け入れるための社会を構想しようとすればするほど、その社会で生きるひとは、抽象的な自由意志や誰もが認めることのできる規範に主体として従うことが求められる、すなわち同一性の論理が強化される、というディレンマである。(78頁)

ややずれますが、熟議民主主義が「リベラリズム」の枠内に収まるかどうかも、一つはこの点に、つまり熟議参加者の「主体性」をどのように理解するかに関わっているだろうと思いました。たとえば、ドライゼクのように、「個人」を複数の言説によって構成される存在として捉えるならば、その場合の「個人」は「統一された善」を保持する「主体」ではない、ということになるでしょう。

フェミニズムの政治学―― ケアの倫理をグローバル社会へ

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