15年前に

妻に教えてもらったことはいろいろあるけれど、多分、一番大きかったことは、15年前の夏のことだと思う。


彼女は社会人1年目で、僕は修論を書かねばならないが、夏になっても、どうすればよいかわかっていないM2院生だった。
彼女が仕事でうまくいかなかったことを話していた時に、僕は、「それはこうすればいいんだよ/するべきだよ」と、自分では自覚がなかったが一方的に断言してしまっていた。
それで彼女は、「そんなことが聞きたいのではない」と言って、その後、しばらくかなり険悪になってしまった。


「男は話が聞けない」という話。今となっては、何ともありがちな話としか言いようがないけれども。「こうすべきだ」って、そんなの言われなくてもわかってるって。


それから15年が経ってしまい、「話を聞く」ということがどういうことなのか、今では、「男性にしてはわかっている」ことに多少の自負はある。それでも、ときどき(しばしば?)、「だからさあ」と、やってしまうけども。


本の「あとがき」に、「妻の支え(内助)で…」とは絶対に書きたくない。「内助」してもらったとは思っていない(というのは少し言い過ぎ)。そうではなく、学問的に教えてもらったと思っているから。僕の考えている熟議というのは、こういうことを含んでいるのだから。