雑感

 子どもを小学校に送って車に戻ってきたとき、自分のクルマの後にタクシーが止まっていた。誰かタクシーで来たのかなと思ったら、中から運転手さんが子どもを連れて出てきた。つまり、子どもを送りに来たのだ。
 とっさに「日本だったら、『仕事中に子どもを連れてくるとは!』」とか言う人がいるだろうな、と思った。あるいは、職務上危険だ、と言うとか(同じ例ではないけれど、以前に運転室に子どもを入れて免職になってしまった電車の運転士さんがいましたね)。


 もちろん、この運転手さんがどういう状況で子どもを連れていたのかはわからない。ワーク・ライフ・バランスのための制度として、社内のルールで認められているのかもしれないし、そんなルールはないのかもしれない。また、会社の車に乗っているけれど、勤務前なのかもしれない(でも、それでも問題だ、という人は日本だといそうだけど)。それに、こっちで一般的なのかどうかも分からない。


 以前、海外生活の長かったある政治学の先生がブログで、欧米的な「プライバシー」感覚について、こんなことを書いていた。自宅に友人を招くとする。居間に案内されると、そこには、家族の「プライベートな」(と思える)写真が飾ってある。さてこの場合に、その写真のことを話題にするのは「プライバシー」の観点から遠慮するべきなのだろうか。その先生曰く(大略)、お客さんを案内した部屋に飾ってあるものは、それを見て話題にしてよいということだからこそ、そこに飾ってある。だから、それについては、こっちの感覚で「プライベート」と思えるようなものでも、どんどん話題にしてよいのだ、と。逆に、話題にしてほしくないもの/見てほしくないものは、別の閉ざした部屋にある(これこそ「プライベート」の意味だろう)。だからその部屋は、ホストが入ってよいとか言わない限り、入ってはいけないし、そこにあるものを見たり触ったりしようとするのもダメなのだ。


 前にも書いたかもしれないが、僕の今住んでいるユニットハウスの裏庭(洗濯物を干すことができる)には、となりの家との敷居がない。これは、たまたまそうだという説もあるので、(上の事例以上に)一般化できないけれど、でも、「アジアならともかく、欧米的な感覚ではこういうのはあり得なさそうだけどなあ」と感じる。そもそも、シェアハウジングも、欧米では特に若者では結構普通なのも、意外と言えば意外だ。

 
 なんだか取り留めのないことになっているけれど、どうも「私(プライバシー)」の理解の仕方に、どこか日本でのそれとの違い/ズレがあるのではないかな、という感じが、あらためてしたのだった。