行為・創発・制度

 以下、きわめて思いつき的なメモ。手がかりになることを願う(自分にとって)。


 「ある制度Aの下で、ある行為Bが起こる」あるいは「ある行為Bをもたらすために、ある制度Aを設計する」という考え方を取ると、特定の行為Bの強制(あるいは少なくともパターナリズム)ではないかという疑念ないし批判が生じる。
 かといって、「ある行為Bが起こることは望ましいが、それを強制するような制度Aは望ましくない」と言うだけだとすると、結局、行為Bの望ましさを言うこと自体がナンセンスということになるか、または、単に行為Bの望ましさのみを主張する純粋に倫理的な(?)議論に止まる。
 そこで、行為Bと制度Aの間に「創発」概念を挟み込むとどうだろうか?
 そうすると、「制度Aは特定の行為Bを強制するわけではないが、それにもかかわらず、制度Aの下で行為Bは生じる(または、生じる可能性が高まる)」と言うことができるようになる・・・だろうか?この場合、制度Aと行為Bとの間に厳密な意味での因果関係は存在しない。というよりも、「因果」ではないからこそ、「創発」なのである。
 問題は、因果関係がないのに、なぜ特定の帰結が生じる(あるいは生じる可能性が高い)と言うことができるのか、ということであろう。そこを「それは創発だから」という表現だけで切り抜けることができるかというと、それは難しいような気がする。実証的なデータを持ち出すしかないのだろうか。
 この問題は少し考えないといけない。とはいえ、とりあえず、「特定の行為を促すのだけれども、しかし、強制的にではない」ような制度というものを理論的には考えることができる、ということは言えるように思う。