大学院生と指導教員

今日はエントリ書きすぎですが、そういうときもあるということで。
さて、院生と指導教員との関係というのは、きっといつの時代も悩ましいものです。
 「大学院生といえども研究者。自分で研究の方針さえ決められなくてどうする?」というのは、考え方としてまことにもっともなことであり、実際にも研究の方向性を先生に決めてもらおうという姿勢ありありな大学院生というのは、やっぱり大成するとは思えないもの。
 しかし、同時に、大学院生というのは研究者の「たまご」であることも確かであり、よって、「自分で考え、決めなければダメだ」とだけ言われても、路頭に迷ってしまうもの。
 なにしろ、自分の研究が妥当かどうか、確信を持つためのよりどころは、たいていの場合、指導教員しかいないのですから。
 というわけで、教員たるもの、「自主性を尊重しつつ、院生が確信を持てる程度にはパターナリスティックに」ということになるわけです(おそらく)。
 これが、言うは易く行うは難し、なのですが、それでも、かくあるべく努力が必要なのでしょう。