帰省あれこれ

週末は帰省。
原稿の仕上げは実家で行うことにして、いろいろと持って帰りました。
行きの新幹線も半分くらいはパソコンとにらめっこ。
実家について、また少し作業をしてから、家族で平和公園へ。
 途中、タクシーの運転手さんにお願いして、僕の通っていた基町の保育園のあたりを通ってもらいました。
街の景色そのものは、あまり変わらないようでした。
 ちょうど僕が通っていた頃がスラムからの再開発の末期。だから、その頃に大きく変わったのであって、そこからあまり変わっていないのは当然かもしれません。
 ただ、市営住宅の居住者などはかなり変わった模様です。あと、団地内にちょうど保育園に通っていた頃にできた小店舗を集めたショッピングセンターは、シャッター街化しているとか。まあ、これは外側しか見なかったので、具体的にはわかりませんでしたけれども。
 資料館で、カープの初優勝の映像をぼんやり眺めていると、被爆からまだ30年の当時の優勝がどれほど感慨深いものだっただろうかと、それからまた30年経った今、思いました。僕自身は、そのころ、カープファンではなかったですし、というよりは、そもそも、あんまり初優勝のときの印象がないので、プロ野球もそれほど熱心には見ていなかったのかもしれません。プロ野球そのものに関心を持ち、確信的なアンチ・カープになったのは、もう数年後のことだったのかもしれません。
 戻ってからまた原稿を直し、夜中に提出。まずは一安心。


 次の日は、岩国へ。米軍基地ではなくて、錦帯橋を見に行きました。昔一度行ったことがあると思うのですが、あまり記憶がはっきりしません。それよりも、小さい頃に、家族で錦帯橋に行くという話になったときに、僕だけ「絶対行かない!」と言って、結局本当に自分だけ行かなかったことはよく覚えています。このたび、そのときのことが話題になり、そのときの「事情」が判明しました。
 この「事件」が発生したのはちょうどお盆の時期で、周りの人たちが帰省でいなくなる(我が家は公務員住宅だったので、とりわけこの傾向が顕著)のに、我が家だけ家にいるのがイヤだった僕は、出かけるならば「泊まり」でなければイヤだと強く主張し、日帰りの錦帯橋行きに納得しなかったのだったとか。
 なるほど。なかなか筋の通った少年ですね(?)。
 

 錦帯橋では、初めて鵜飼い見物をしました。おお、本当に鮎を取るんだなと、この魚影も少なかろう時期にちょっと感動。取った鮎を一匹もらって帰りました。
 帰ったあとは、近くの公園で、子どもたちとサッカーその他。僕がいた頃と大枠では変わっていないこの風景も、今後どうなっていくのかなとちょっと気になります。


 そんな形でやや短期間ながら割と充実した、本日はちょっと早めの時間の新幹線に乗り、名古屋に戻ってきました。実は明日から、今度は北海道行きです。が、その前に、原稿を少々加筆することになりまして、またバタバタしております。何とかなるかなあ。