読書

19000円をはたいたからにはw、というわけで、喫茶店にて、第16章「権力と諸形態」、第17章「ポストモダン・デモクラシー」を読む。

政治とヴィジョン

政治とヴィジョン

第16章では、現代社会における脱政治化と「全体主義」化傾向が指摘されている。

超強大国が必要とするのは帝国市民であり、これは、市民の関心事と権力保持者の関心事との関係が当然かけ離れていることを受けいれ、参加の義務から解放されていることをありがたく思い、それでいて熱烈に愛国的なタイプである。超強大国の理想的市民は非政治的であるが、疎外されてはいない。(717頁)

「先進的」社会、管理された全体性に向かって前進しつつある社会を評価するためには、全体主義体制を個人支配、政治を独占する単一政党、反対意見の圧殺、拷問や抹殺の常態化と不可分のものとして――要するに、暴力と恐怖の浸透し、固く一体化した切れ目のない全体のイメージとして描き出す固定観念を控えることが有用である。(733頁)

 第17章では、著者のfugitive democracy論が展開されている。

 よく言ってもデモクラシーが「統治した」のはごくまれなことであったのだから、おそらく古代から近代にかけての政治理論家たちは、デモクラシーを社会全体にとって可能な一政体として扱うことによって、範疇的誤謬を犯したのである。おそらくデモクラシーは、政治社会を統治したり支配したりすることにかかわってはいなかった。(760頁)


 どうでもよいことだが、喫茶店では読書が進む。。。