留学というか

前から思っては消え、また少し考えては消え、ここのところまた気になって仕方なくなっていることに、長期の海外留学をやらねば問題、がある。
 僕の場合、どーしても海外で調査しなければならない何か、があるわけではない。どこそこの図書館でしか見ることのできない資料とか、どこそこでしか会うことのできない人たちにインタビュするとか・・・といっても、これらは長期で行かなくてもできるか(^^;。
 主な動機は、外国語アレルギーの解消、意やもうちょっとまともに言えば、外国のヒアリング・スピーキング・ライティング、それらを合わせたディスカッション能力の向上、である。こう見えても、いわゆるトップジャーナルに論文を投稿したいと全く思っていないわけではないが、それはともかくとしても、これからの時代、国内外をと合わず頻繁に開催される国際学会、研究会、その他交流の機会で、臆せず外国の研究者とも議論できるようになりたい、できれば時には共同研究の「さわり」のようなものもできればいいかも・・・と、ただそれだけである。それが長期といっても1〜2年の海外滞在で完全にできるようになると素朴に考えるほど、ものごとの分別がつかない年齢でもないのだが、なにぶん行ったことがないと妄想が拡大するのだ。
 とはいえ、克服しなければならないほどの外国語アレルギーだからこそ、いっそう外国行きを積極的に企画できない、という「逆説」があり(いや、本当に「逆説」かどうかはさておき)、どうにもこうにも動きが鈍く重いのである。僕の周りの人たちはよくご存知のことと思うが、どれくらい鈍くて重いかというと、かのVI○TAを512メガのメモリのPCで走らせた時くらい、である・・・いや、やったことないので、あくまで想像。我がPCも2メガに増設しなきゃ。
 で、そうこうしているうちに、30代後半になってしまい、ファンドの年齢制限からもどんどんはじかれてしまうのである。「どんどん」という副詞が当てはまるほど、探索していないのが実情だが。
 しかしなあ、それでもなあ、もういい加減なんとかしないとなあと、30代後半も半分近く過ぎてかなり真剣に思う。(誤解があってはいけないが)まだ妊娠・出産経験のない女性が、40代が近づくと、妊娠・出産についてそれまで以上に思い悩むというのと、問題の深刻さの度合いを度外視すれば、構図としてはよく似ているのだろうか。
 明日締め切りの某レポートの採点を駆け込みでやりつつ、あらためていろいろと思う日曜の昼下がり。