佐賀行き

 週末は、佐賀に行っていました。9年間佐賀で勤めた母が定年になる(なった)ので、最後に行ってみよう、という趣旨です。
 実は、最初に佐賀に行ったのは母が着任した9年前の夏なので、最初と最後にしか行っていないわけですが…。
 ちなみに、当時僕はD3で、博論提出の4,5ヶ月前でした(で、まだ半分くらいしか書けていなかった)。まだ20代後半。いやあ、我ながら若かった。
 それはともかくとして、母は、30代で子ども2人を出産してから大学院に入り直し、50歳で初めて静岡で正規の教員として採用されました。静岡に着任が決まるころには、既に僕も弟も大学生で実家を出ていました。だから、静岡行きを決意できたのでしょう。そこで6年間勤めたのち、佐賀に移りました。
 僕の見ていた印象では、静岡での6年間は「教員」としての、佐賀での9年間は「研究者」としての仕事を満喫していたように思います。もちろん、静岡にいる間に本をまとめましたし、本人は、自分は教えるのが好きで、佐賀でも「教員」としてしっかりやっていたと言っていて、それはそうだと思います。でも、佐賀での9年間ほど、研究中心に生活を送れたことはなかったはずです。その証拠に、「研究で忙しい」が口癖のようになったのは、佐賀に行ってからではないかと思います。
 「研究第一」は研究者として当たり前なのではないかと言われれば、そうともいえます。しかし、母の場合、とりわけ30代から40代は、扱いにくい僕など2人の子育てに加えて、地域活動や社会運動などにも取り組んでいたため、とても「研究第一」では生活できなかったことでしょう。我が家は車がないのに、山を切り開いた高台に住んでいて、しかもその高台にバスが上がってきたのも、僕が小6のころ、という具合でしたから、それだけとっても苦労は多かったと思います。
 確かに、それはそれで母にとっては、充実した生活だったようではあります。が、しかし、研究をやっている以上、「研究第一」の暮らしを送る経験ができなければ、きっと人生に悔いが残ったことでしょう。そういうわけで、佐賀での9年間は貴重な9年間だったのだろうな、と思います。
 母の長年の労をねぎらうとともに、母に「研究第一」で過ごす場を与えてくれた佐賀大学のみなさんにも感謝申し上げたいと思います。

若き教養市民層とナチズム―ドイツ青年・学生運動の思想の社会史

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ヨーロッパ文化と“日本”―モデルネの国際文化学 (佐賀大学文化教育学部研究叢書)

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