20年

 僕が大学院(前期課程/マスター)に入学したのが1994年4月です。それからもう20年も経ったのだなということを、最近よく思います。
 歳をとることで知力体力は衰えているのは間違いありません。とはいえ、大学院に行くことだけは決めていたのに、研究するとはどういうことかさっぱりわかっていなかったあの頃からさすがに20年も経つと、「進歩」した部分もあるとも思います。
 たとえば、論文を書くということがどういうことか、どのように組み立てれば論文になるのか、ということは、当時の自分が最もわかっていなかったことの一つです(それでよく大学院に入ったなというのはともかく)。でも、今では、ある程度は「わかって」きていると感じます。もちろん、「ある程度は」ですが。
 このことに限らず、雑多な情報の中から、取捨選択してまとめていく力は、着実に身についたと思います。たとえば、授業の準備(授業内容の組み立て)なども、以前に比れば(この場合、院生時代ではなく教員になったころと比べてですが)はるかにやりやすくなっていると感じます。そして、この種の作業について自分の力をある程度は信じることができるようになっているとも感じます。
 しかし他方で、どこかで「おごり」というか、「このくらいでいいか」的な気分が芽生えている部分があるかもしれません。昔ならば、もっと緊張感を保っていたり、もっと一生懸命取り組んでいたりしたことが、そうではなくなっている部分もあると思います。僕の中で、やるべきことが増えて、諸案件の中での優先順位が変化せざるをえないということがあるのは事実ですし、元々ものぐさな性質でもあるのですが、「だからそれでよいのだ」というわけではありません。
 ともあれ、先日44歳になり、もはや完全に「若手」の域は脱した世代となりました。何しろ、次の20年が経つと、もう60代半ばになっているのです(!)。20年後も、自分がちゃんとした研究者であると認めてもらえるように頑張っていきたいものです。
 それでもやっぱり歳は取りたくないですけれどもね(苦笑)。