8月6日、ヒロシマ原爆投下の日。
 「ヒロシマ」に、「加害者としての責任をも直視しなければ」との指摘がつきまとうようになったのはいつのころからだったでしょうか。
 こうした指摘に対して、加害者の視点が本当になかったのか、以前にはなかったとしても次第に自覚化されてきたのではないか、などという観点から応答することもできるでしょう。
 しかし、僕はこう思います。「no more Hiroshima no more Hibakusha」のメッセージは、そもそも、加害者/被害者の軸を超えたところで展開されてきたのではないか、と。
 ヒロシマは「アメリカによる」原爆投下の被害を訴えてきたのではなく、端的に「原爆そのもの」「核兵器そのもの」への異議を唱えてきたのではなかったのでしょうか。
 だから、ヒロシマはあらゆる核保有国が核実験を行うたびに抗議を表明してきたのではなかったでしょうか。
 広島に20年近く住んだことのある人間として、そう思わざるを得ません。