http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20050519
全文をぜひお読みいただきたいところですが。
教官のゼミは宮廷であり、教官の寵愛を受ける濃度(身分)に応じて、同心円状に中心と周縁がなければならなかった。それは学問的な思考の問題ではない。彼らはみな公的にはきれい事をならべる達人であった。わたしは有名出版社の刊行物に書かれたきれい事を読むと、彼らの顔を思い出す。教官の寵愛と恐怖を資源として用いた院生同士の足の引っ張り合いを観察していると反吐が出そうになった。silent majorityは不安に凍りつき、陰口好きのtalkative minorityの「みんな」をおそれて黙っていた。あとから「いやだったね」という本音が語られることになる。本当の「多数派」に気づくことができるようになるのは後になってからだ。
次の本もぜひ。「学校」を知る者にとっては、タイトルから著者たちの想いが伝わってくるようです。
僕自身は、教育では、しばしば「指導」がマジックワード的に用いられがちであることを書いたことがあります。http://d.hatena.ne.jp/TamuraTetsuki/20050330
「学校が自由になる日」は来るのでしょうか?