urasimatarouさんのエントリ(http://d.hatena.ne.jp/urasimatarou/20050505)より

「男らしく、女らしく、というのは差別ではなく、区別だ」という言い方がある。「土俵に女が上がれないのも差別じゃなく伝統文化云々」「大峰山系の山上ヶ岳が女人禁制なのも差別じゃなく伝統文化云々」という言い方もある。

 どれも差別であろう。侮蔑していなくても、単に性別で差をつけるのは区別ではなく差別である。

 しかし、一方で、その差別(区別でもいいけどさ)は妥当か否か、ということが検討されるべきだろう。

 私は一応女で、男女差別は嫌いだけれど(バカで弱虫のクセに、男だ、というだけで威張るオッサンは特に大嫌い)、土俵に上がれなくても山上ヶ岳に登れなくても別に構わない。女官僚出身政治家が「土俵に上がらせろ」と言うのは不思議だ。それよか、育児休暇を男にも取らせる工夫をするとか、公営交通機関での女性専用車両の是非とか、男に対する逆差別の解消とかに力を尽くした方がよくないか?

うーむ。僕も、女人禁制の土俵の是非よりは、男性への育休取得促進による性別役割分業という名の差別是正を直感的には優先したいクチではあります。それは、きっと「土俵などで行われている差別よりも、それ以外の社会で行われている差別を是正することのほうがはるかに大事だ」と思っているからです。そして、社会生活における性別役割分業の是正が、男女平等のカギだと思っているからです。
 ただ、なぜそういう風に思うのか、については、考えてみると、自分でもよくわからないところです。
 単に、相撲などは「文化」の問題だから、でしょうか?しかし、「文化だから〜」という論法を許すと、たいていの男女差別は「文化だから〜」と強弁されてしまいそうな気もします。かといって、相撲における「男女差別」が「アリの一穴」になる、という気もないのですが。
 あるいは、相撲や山上ヶ岳の存在そのものがそもそも差別的なのであって、それを前提とした男女平等など欺瞞でしかない、という考え方ができるかもしれません。これは、しばしば「女帝問題」で主張される論点ですね。この場合、問題は、相撲などがそれ自体差別的なのか、ということになりますが、(当然)僕には検証能力がありませぬ。
 と、今思いましたが、土俵や山への女人禁制が、男=仕事、女=家庭という意味での性別役割分業の是正とは(少なくとも)直接関係しないから、でしょうか?
 なお、更衣室やトイレなどが男女別であること(ただし、とりわけトイレについては必ずしも別でなくてもよいかもしれないのですが)については、以上の話とは別に「わかっている」つもりです。
 疑問だけ散らかしておいて、またも答えはなし。。。