読書

途中で止まっていた、松尾匡『新しい左翼入門』講談社現代新書、2012年、を読了。

新しい左翼入門―相克の運動史は超えられるか (講談社現代新書)

新しい左翼入門―相克の運動史は超えられるか (講談社現代新書)

 日本の左翼運動の展開を、二つの立場の争いとして整理している。それらをNHK大河ドラマ獅子の時代」の主人公から、「嘉顕の道」と「銑次の道」と名付けたことがよかったのかどうかはやや疑問だが(というのは、こういう名称の付け方は、やっぱりそのドラマをよく知っている人でないとすっと入ってこないと思うので。僕の場合はそもそも、読み方を忘れてしまって、「何て読むんだっけ?」となることもしばしばだった)、それでも著者の言わんとすることはよくわかる。
 個人的には、「銑次の道」の問題点の指摘が興味深かった。つまり、抑圧された大衆の中に身を置いて闘おうとすることが、下手をすると、その「現場の実感」が他の場所でも当てはまるものなのか、そこでしか当てはまらないものかが区別できなくなることにもなるということである。
 それから、最後の章での「唯物史観」の再解釈も興味深かった。「自主事業経済」の展望がどのくらいあるのかは、わからないけれど。
 ただ、この本を読んでいると(日本における)「左翼」の可能性としてもう少し考慮できる部分はなかったのだろうかという気もしてくる。たとえば、革新自治体運動というのは、この本の枠組みではどのように評価されるのだろうか。最近では原武史さんの本で描かれているような団地における革新勢力の活動なども含めて、「嘉顕の道」と「銑次の道」のバランスがそれなりにとれていたこともあったのではないだろうか。