雑感

 最近、あらためて実感しているのは、海外生活は一筋縄ではいかない、ということです。自分のこともそうですが、他の数名の人のいくつかの体験を聞き、あらためてそう思っているところです。


 言葉の壁や習慣の壁は、やはり深いコミュニケーションを妨げます。そうでなくとも、日々の生活がすなわち緊張のもとになります。慣れてくるとはいえ、店で買い物をする、ちょっと立ち話をするのでさえ、ぼーっとしているわけにはいきません。全身で一生懸命「聞こう」とするからです(もちろん、人によって程度の差はあると思いますけれど)。日本であれば、ぼ〜っとしていてわからなかったら、「すみません、もう一度」と気軽に言えます。こちらでも、そう言うしかないのですが、「もう一度」と言うたびに、追い込まれる感じはあります。2回くらい聞いてもわからない時は、どうすればよいのでしょうか。


 いろいろなアクシデントも起きます。それらの中にはもちろん、日本で起こっても大変なものもあります。しかし、そういうものであっても、対応の予測可能性というか、その後の見通しが違うと思います。言葉や習慣の壁があるので、いろいろなことをきちんと確認しきれないとか、こうだからこうだろう/こうなるだろうという予測が立てにくいとか、そういうことです。だから、必要以上に不安に陥りやすいと思います。


 だからといって、こちらにいる人の誰もが悲壮な様子で生活しているわけではもちろんありません。日本にいることの「つらさ」というものもあるわけですし、(前にも書いたと思いますが)「外国人」であることの気楽さというものもあります。そして、オーストラリア人は陽気です。生活そのものも、先進国ですから、いろいろ不満はあっても、基本的には快適です。ご飯も悪くない(人によって評価は分かれるかもしれません。でも、少なくともコーヒーはおいしい)。実際、いろいろありましたが、僕はこの間、微熱すら出したことがありません。こんなことがここ10年間であったでしょうか!!ここは、閉鎖的で過酷な場所ではないのです。


 それでも、この地で暮らしていくのは、ましてや、勉強していくのは、やっぱり大変なことだろうなと思います。いろいろな苦労があり、いろいろなストレスがあり、先行きの見通せなさがあります。その点、僕の場合は、帰るべき場所ははっきり決まってます。少なくともその点だけは、先を見通すことができます。そのことを幸いとするとともに、そうでなくとも頑張っている友人たちに敬意を表しつつ、一筋縄ではいかない生活も、大事にかみしめて過ごしていきたいと思います。