訃報


東京大学高橋進先生が亡くなったことを知った。
 

 先生とは、実質的に2回しかご一緒する機会がなかった。でも、それは、「2」という数字には込めることのできないほどの大きな財産になっている。
 その機会というのは、高橋先生がシェフィールド大学のグレン・フック先生とともに企画された、Anglo-Japanese Academyという、日英の若手研究者を集めて開催されたワークショップ(とそれに続いて企画された国際会議)である。
 第一回のアカデミーは、2001年9月に、シェフィールド大学などで行われた。英語のペーパーを事前に執筆して当日はそれをワークショップで発表するほか、プレゼンテーションについての講義や著名な先生方の講演を聴くと言うプログラムだった。当時、全く英語で文章を書いたことも、海外に(旅行以外で)行ったこともない僕は、参加することは決めたものの、正直に言えば、相当に憂鬱だった。
 実際に参加してみて、やっぱり英語でのやり取りは全然できなかったし、だからイギリス側のフェローとの交流もほとんどできていない。でも、とにもかくにも、英語のペーパーを書き、プレゼンだけは英語でやり、そして日本側中心だけれども、何人かの同世代の研究者と仲良くなり、上の世代の先生たちと話をすることができた。そのうち何人かの人とは、今でも、研究上の交流がある。報告ペーパーを日本語で加筆修正したものは、その後、拙著『政治理論とフェミニズムの間』の第2章となっている。
 拙報告に対してF先生が英語でなさった質問のスピードがあまりに速くて聞き取れなかったことも(結局、日本語で再度質問してもらった)、英語がうまくできなくて、ホテルで(イギリス流の?)冷たい態度を取られたことも、イギリスの食事というのはこういう感じなのねと思ったことも、今ではよい思い出である。そして、偶然だが、帰国した次の日に、例の9.11をテレビで目撃したのだった。


 2回目のアカデミーは、確か2006年の1月にウォーリック大学で行われた。今度は、いわばこの企画の「先輩」として、ワークショップの司会などを行う役割である。相変わらず、英語はダメだったけど、何とかこなした。自分より若い世代の人たちは、英語での報告を簡単にこなすんだなあと、素直に感心したのもこの時である。
 実は一回目の時は、なんだか畏れ多くて、高橋先生とちゃんとお話しした記憶はほとんどない。でも、二回目は、いろいろお話する機会があった。「課程博士論文の審査というのは、結局、指導教員(の力量)が評価されているんですよ」とおっしゃっていたことを、よく覚えている。そして、一見、とらえどころがないように見えて、とても「熱い」想いを持っていらっしゃるんだなあと、少し意外に感じたことも。


 そう、この2回のワークショップは、いろいろな意味で、僕にとってかけがえのない財産になっている。その財産を、その後、有効に活用できているのかと問われれば、然りともそうでないとも言えるような微妙なところであるのは、自分の力不足のゆえとしか言いようがない。それでも、確かに財産は受け取ったのだ。膨大な手間はかかるものの、純粋に自分のためになるとは言えない、そんな試みを、自分の指導生でもない人々にも開く形で企画してくださった先生のその志は、引き継いでいかなければならないだろうと、あらためて思っている。ありがとうございました。