読書

迷宮の少女たち

迷宮の少女たち

 著者は共同通信社の社会部編集委員。中学・高校で瞬く間に「非行」へと突き進む少女たちとその親(主に母親)との関係を描いた本。
 原因解明などはあまりしないで、経過と真理をどちらかといえば坦々と描いている。「非行」に向かう時はあっという間。何が正しいのか、どうすればいいのか、ちょっと途方に暮れる一冊。

あごら (306号)

あごら (306号)

 シンポジウム「女性学のこれまで・これから:新自由主義にどう対峙するか」の様子を収録。発題は、浅倉むつ子「労働世界へのジェンダー法学的アプローチ」、久場嬉子「私的問題の公共化:フェミニスト政治経済学からの問題提起」、細谷実「フェミニズムバックラッシュ個人主義」の3人。コメントは、塩田咲子「雇用平等論の原点に立ち返る」、山田昌弘フェミニズムはすべての女性の希望になり得るか」の2人。
 討論の中での久場先生の次のような発言が印象的。

ただ、私はこの25年間を振り返って、自分自身のもっていた認識の甘さを痛感しています。
 私は、もちろん、女性の労働市場への参加は必然と思っていました。また、その増加により、男女間での仕事と家庭責任の平等なシェアは当然に進むものとみていました。・・・共稼ぎが増えればすべて解決するんじゃないかと、私もそう思っていた時期がありました。
 しかし・・・そうならなかった日本の現状を実感します。何より、日本では、どんなに多く女性が雇用されて働くようになっても、雇用の場で、あの「ケアレス・マン」〔ケアを担わない人間=男性のこと――引用者註〕の労働モデルを見直すことが、また仕事と生活の調和を可能にする新しい雇用モデルをつくろうという真剣な試みが、一度もなかったということに注目したいですね。(44−45頁)

 こうした認識、つまり女性の労働参加が進んでも男女間でのケアの配分に大きな変化は生じていないという認識は、1990年代後半以降にはJ. LewisやB. Hobsonといったヨーロッパの社会政策系のフェミニストの中にも見られるようになっていて、(前にも紹介したと思うけど)その中でこういう本も出ている。

Making Men into Fathers: Men, Masculinities and the Social Politics of Fatherhood

Making Men into Fathers: Men, Masculinities and the Social Politics of Fatherhood

 もっとも、同じシンポジウムでは、山田氏が次のようなことを指摘していて、これはこれでなかなか難しい問題。

・・・男女共同参画で一番変わらなかったのは〈女性は男性に養ってもらうのは当然だ〉と考える意識なんです。いろんな調査をしてみても全然換わっていないんですよ。欧米で一番変わったのはそこですが、日本の意識調査で一番変わっていないのは、結婚したら基本的に夫の収入で生活を支えるのは当然だという意識です。(38頁)

 

現代市民社会論の新地平―「アレント的モメント」の再発見

現代市民社会論の新地平―「アレント的モメント」の再発見

 パラパラと読む。