ここのところずっと気になっていて、本棚をあちこち探していた本。ようやく発見し、気になっていた箇所を探して再読。
日本という身体―「大・新・高」の精神史 (講談社選書メチエ)
- 作者: 加藤典洋
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1994/03
- メディア: ペーパーバック
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後者の点について、著者の加藤は、小林秀雄が「日本に生まれたといふ事は、僕等の運命だ」と言って日本の戦争支持へと動くのに対して、次のように述べている。
このことは・・・小林に「西欧的知性」への免疫は十分にあったが、一方、あの日本的身体の共同性への免疫は、ほとんどなかったことを示している。
ここで彼は、たとえ戸口のむこうにジイドがこようとヴァレリーがこようと、自分は扉をあけないといっているのだが、では誰がこようとこの「桃色の室」を守るといっているのかといえば、そこに「事変に黙つて処した」国民がくるや、とたんにこれを明けわたしているのだからである。(加藤『日本という身体』193頁)。
「私は知らない」と言って徹底的に「桃色の室」に閉じこもることがラディカルな意味を持つことがある、加藤が示唆しているのは、そのようなメッセージである。このメッセージをどのように受け止めるべきか、少なくとも僕にはにわかに回答の出せない問題であり、だからこそ、ずっと脳裏にこびりついているのである。